ガイド記事もニュースものを除くと『大奥』『新選組!』そしてまた『大奥』と時代劇が続きます。他にもテレビ朝日『忠臣蔵』にNHK『最後の忠臣蔵』の忠臣蔵競演もおもしろく、秋ドラマは時代劇が絶好調でした。

それではまず前回の続きでお世継ぎを産む争いのその後について。


『大奥 第一章』その後


『大奥 第一章』のラストでは正室・側室が仲良くすごすことが暗示されました。実際にお世継ぎという面から見るとスムースに将軍職が継承されています。

家光の死後はお楽(京野ことみ)の子・家綱が四代将軍に。世継ぎなく家綱が死んだ後は、お夏(野波麻帆)の子・綱重が先に死んでいたので、三男の綱吉が五代将軍に。綱吉も世継ぎなく、今度は綱重の子・家宣が六代将軍に。七代には家宣の子、家継というように。
五代将軍に綱吉じゃなく家宣を、という勢力もあったようですが「家光の孫よりは子」とルール通りになっています。

七代までで秀忠・家光系は終わって全十五代将軍の折り返し、八代将軍は家康の子・徳川頼宣を祖とする御三家の紀州藩、吉宗となりました。


 幕府の動き大奥の動き
1641 お楽、竹千代(四代将軍家綱)を出産
1643 春日局死去
1644 お夏、長松(綱重)を出産
1646 お玉、徳松(五代将軍綱吉)を出産
1651家光没、家綱が将軍に 
1652 お楽(宝樹院)没
1657明暦の大火 
1661綱重、甲府藩主に/綱吉、館林藩主に 
1678綱重没 
1680家綱没、綱吉が将軍に 
1683 お夏(順性院)没
1684 お玉(桂昌院)従三位に
1687生類憐れみの令発布。 
1701 お玉(桂昌院)従一位に
1703赤穂浪士討ち入り事件 
1705 お玉(桂昌院)没
1709綱吉没、綱重の子・家宣が将軍に 
1711 お万(永光院)没
1712家宣没、その子・家継が将軍に 
1714 絵島生島事件
1716家継没、吉宗将軍に