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なぜ二人の母なの「オードリー」

朝のあわただしい時間に放送されるため、どうしても見逃しが多い連続テレビ小説ですが、その割には設定がややこしい「オードリー」。 よく聞かれる質問は「なぜ実の母のママ(賀来千賀子)がいるのにおかあちゃま(大竹しのぶ)が育てているのか」、どうしてだっけ?

黒田 昭彦

執筆者:黒田 昭彦

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朝のあわただしい時間に放送されるため、どうしても見逃しが多い連続テレビ小説ですが、その割には設定がややこしい「オードリー」。
 よく聞かれる質問は「なぜ実の母のママ(賀来千賀子)がいるのにおかあちゃま(大竹しのぶ)が育てているのか」で、現実にも1回聞かれたし、ネット上でも2回同じ質問をみたことがあります。

 実際にした回答は3パターン。

・若い頃にパパ(段田安則)がおかあちゃま(大竹しのぶ)にプロポーズした伏線がありその影響(旅館を継ぐために断った)

・おかあちゃま(大竹しのぶ)が大石静脚本の典型である回りがなんといおうと我を通す「ジコチュー」キャラだから。

・モデルである脚本家本人が実際そうだったから。(二人の母がいて、英語名で子どもを呼ぶ父が実際いた。長じてオードリーは女優から映画監督になり、実際は舞台女優から脚本家になる)

 だいたいこの3つですけど、一番大きくは最後の「実際そうだったから」でしょうね。いかに視聴者にとって納得いかなかろうが、脚本家にとっては事実だからしょうがない、というところでしょう。少女編の最後の方でパパ(段田安則)が「真実やから現実味がないんや、わかりやすいことの方がうそくさいこともある」というセリフは脚本家の開き直りに聞こえました。

 脚本家自身がモデルであるというのは、連続テレビ小説では「春よ、こい」があり、安田成美の降板騒動があるなど成功とはいえませんでした。この原因は橋田壽賀子が同世代の女性脚本家のライバルである向田邦子を意識してしまったからではないかと思います。「あ・うん」など自分の少女時代をモデルに昭和初期を描いた向田作品。このかっこよさを見習おうとして、橋田脚本の持ち味である泥臭さを失ってしまったのが失敗ではないかと。

 自分を客観的に見る、というのはドラマでは難しいことのようです。
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