F1/F1(フォーミュラ1)について

ロータスが15年ぶりにF1へ復帰!(2ページ目)

あの「ロータス」がF1に復帰する。マレーシアのビジネスマン、トニー・フェルナンデスが率いる新生「ロータス」。過去の歴史を振り返りながら、新生「ロータス」の魅力にも迫っていく。

辻野 ヒロシ

執筆者:辻野 ヒロシ

モータースポーツガイド

チャップマンの死後も引き継がれたイズム

グラウンド・エフェクトカー「ロータス78」(黒)を先頭にスタートした78年のスウェーデンGP。ドライバーはマリオ・アンドレッティ。
ちなみに、隣の赤いマシンは「ブラバムBT46」。リアセクションに扇風機を付けた「ファンカー」としてお馴染みのマシン。圧倒的な速さを誇った「ロータス78」だったが、このレースばかりはニキ・ラウダが駆る反則級のマシンに敗れてしまう。しかし、扇風機の装着は次のレースから禁止されるのであった。まさにグラウンドエフェクトを利用し、技術者がアイディア勝負で戦った時代を象徴する写真だ。ボディ底面の空気の流れを利用する技術者たちのアイディアの戦いは、昨年話題となったダブルディフューザーにまで続いていると言える。
【写真提供:LOTUS Racing】
「グラウンドエフェクトカー」の理論が他のチームにも採用されると、「ロータス」は「ツインシャシー」と呼ばれる構造を持った「ロータス88」を製作した。簡単に言えば、ボディカウルとシャシー(車の骨組部分)を分離し、スプリングでつなぐという奇想天外なものだった。ドライバーの操縦安定性とボディカウル全体によるダウンフォース確保の両立を狙ったものだったが、「空力パーツは可動してはならない」という理由から禁止され、決勝レースには出走せずにこのマシンはお蔵入りを余儀なくされた。もし、この「ツインシャシー」の構造が認められていれば、フォーミュラカーは今とは異なる構造、形状になっていたかもしれない。

このように「空気力学」を突き詰めた「ロータス」のチャレンジングな姿勢は現在のレーシングカーの基礎を作り上げただけでなく、新しい空力アイディアを追及し続けるという、後の技術者たちが進むべき道をも作ったといえる。

1982年にチャップマンは心筋梗塞でこの世を去るが、その後も「ロータス」の挑戦は続く。ルノー・ターボエンジンを獲得した80年代はアイルトン・セナが大活躍。そして、87年には車高を電子制御で一定に保つ「アクティブサスペンション」(現在は禁止)を採用するなど、チャップマンの意思を引き継いだ技術者たちは名門チームの再興を目指し、果敢に闘ったのである。
1985年、イタリアGPを走るアイルトン・セナ。ターボエンジンをフルブーストさせ1000馬力を絞り出して戦ったトンデモナイ時代である。
【写真提供:LOTUS Racing】
こういった「ロータス」の技術的革新の歴史は今の40代以上のレースファンの方なら、少年時代のスーパーカーブームの影響でよくご存じかもしれない。しかし、それ以降のファンにとってはこういったレーシングカーの発展の歴史を学ぶことは少々難しいことだ。とはいえ、「ロータス」が作り上げたものは今のF1にも大きく関係しているので、ひとつの知識として頭に入れておくのもいいと思う。

スポンサーカラーもロータスが先駆者

「ロータス」の革新の歴史は何もマシンの技術的な革新だけではない。スポンサーロゴに彩られ、メインスポンサーのイメージカラーに塗られたF1マシン、今や当たり前の概念を他に先駆けて採用したのも実は「ロータス」である。

1950年から始まった「F1世界選手権」では、マシンが出場国の国籍に合わせたカラーリングで出場するのは当たり前だった。例えば、「フェラーリ」ならイタリアの赤、「アルファロメオ」もイタリアだから同じ赤を纏っていた。日本の「ホンダ」が60年代にF1に登場した際は白地に赤を纏っていた。仮に「トヨタ」「ニッサン」がその当時にF1に参戦したなら、同じ日の丸カラーで走っていたに違いない。当時はそれが常識だったのだ。
F1黎明期はナショナルカラーが当たり前。日の丸カラーで走った60年代のホンダF1
1968年、それまで英国のグリーンのカラーリングで走っていた「ロータス」は、国籍色(ナショナルカラー)を捨て、スポンサーの煙草ブランド(ゴールドリーフ)の赤字に金のパッケージ色を纏ったマシンを走らせた。これ以降、メインスポンサーのカラーリングを纏うというのはF1やその他のレースで当たり前のことになっていったのである。もちろん、ナショナルカラー全盛期にもスポンサーは存在したが、ロゴのステッカーを貼る程度で、多くの活動資金は名も知れぬスポンサー、いわゆる「タニマチ」的な人たちの本当の意味での「応援」によるものだった。
1969年、ドイツGPの1コマ。ゴールドリーフのパッケージカラーに塗られた「ロータス49」。ドライバーはグラハム・ヒル。
【写真提供:LOTUS Racing】
スポンサーカラーの登場で、レーシングカーは走る広告になり、世界的な企業がF1を広告という形でサポートし、利用し、F1はショービジネスとして発展していった。今や「コスト高騰」が常に悩みのタネとしてあげられるレースの世界だが、「ロータス」がこの概念を生み出さなければそれも無かったのかもしれない。しかし、逆に言えば、今のようにF1があらゆる所得者層の人に楽しまれることも、全戦テレビ中継されたりすることも、特に日本ではF1が一般の人の目に触れることも、「ロータス」の偉業なくしては現実にならなかったのかもしれない。

つまり「ロータス」というチームは新しい技術の発展に寄与しただけでなく、レース全体の発展にも貢献した偉大なレーシングチームであるということだ。「情熱」で60年やってきた「フェラーリ」とはちょっと雰囲気の違う名門なのである。
中嶋悟が駆ったロータス100Tもタバコブランドの「キャメル」カラーだった。ロータスには「ゴールドリーフ」「ジョンプレイヤースペシャル」「キャメル」とタバコブランドのイメージが強い。
では、偉大な名前を受け継ぐ新生「ロータス」はそのイズムを受け継ぐものなのか?新しい「ロータス」の魅力を次のページで見て行こう。

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