2000年のITバブル時とは違う今の状況~携帯電話編
携帯電話はITの象徴 |
携帯電話の発祥は、自動車に設置された移動式無線電話機で、電電公社(現NTT)が1979年にサービスを開始、1987年に携帯電話機が初めて発売されて以降、新規事業者の参入を経て普及が加速していきました。
今日に至るまでに大きく技術が革新していき、最初は通話機能のみであったものに、時計代わりの利用(目覚まし時計)、PC的な利用(ウェブ・メールなど)、電卓・カレンダー・スケジュール・メモ帳などのPIM機能、携帯音楽プレーヤー、ゲーム、GPSによるナビゲーション機能、地上波テレビ・ラジオ放送の視聴、非接触ICカードの搭載による電子マネー機能、防犯ブザー、カメラ機能など、さまざまな機能が付加されていき進化を遂げています。
一方、電話機自体も、折りたたみ式になり、画面がカラー化され、より鮮明な画像へと変わってきています。
ITバブル崩壊は携帯電話の在庫調整がきっかけ
日本ではこのような高機能携帯電話は当たり前となっておりますが、世界を見渡せばまだまだ高速ネットでつながれているような高機能携帯電話はごく一部です。では、このような技術革新が進む中で、2000年のITバブル期と現在を比較してどのように変わってきて、将来どうなっていくのか?
2000年のITバブル時はハイテクセクターが大きく上昇し相場を引っ張った後、株価は下落に転じバブル崩壊し、長い低迷へのきっかけとなりました。この直接のきっかけは携帯電話の世界的な在庫調整の波が訪れたためです。
2000年 | 4億1,273万台 | 7億2,200万人 |
2001年 | 3億9,958万台 | 9億4,100万人 |
2002年 | 4億3,163万台 | 10億5,400万人 |
2003年 | 5億1,998万台 | 13億人 |
2004年 | 6億7,400万台 | 16億1,000万人 |
2005年 | 8億1,656万台 | 19億4,000万人 |
まず上記は、世界の携帯電話の販売台数と加入者数ですが、ITバブルの2000年当時の携帯電話の普及率は、日本で約40%、中国で10%未満、インドでは1%未満など、普及についてはこれから加速するだろうという段階でした。
2000年の段階で携帯電話の世界での販売台数は4億台を超えてきましたが、2001年には買い替え需要と新規加入で6億台を超えてくるとの予測があったものの、実際には過度な期待が崩れ、4億台割れの販売実績となりました。その結果、携帯電話の在庫が膨らみ生産調整に入ったのでした。
ここで考えていただきたいのは、利用者が7億2,200万人のところで6億台を生産し、4億台弱の販売実績であった当時の状況では、メーカー各社は大幅な生産調整を余儀なくされるのは当然と言えましょう。