検討が続く公的年金の財源問題。社会保険方式と税方式の違いとは? |
公的年金の財源をめぐる議論
最近、公的年金制度の改革案が、議員連盟や新聞各社などから提案されています。各々の提案の中でも特に議論の中心となっているのが年金の財源をどう確保するのか、という年金の財源問題です。少子高齢化の進展だけでなく、保険料の未納問題や加入記録問題などの諸問題も解決するには、現行の社会保険方式に変わる制度として税方式の導入を進めるべきであるという提案もなされています。さらに、政府の社会保障国民会議から、様々な年金改革案に基づき必要となる消費税率の財政試算も発表されました。日本の年金制度は、将来に向けてどんな制度になることが望ましいのでしょうか?今回は現在提案されている年金制度の財政方式についての考え方をご案内していきましょう。
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公的年金の歴史
はじめに、日本の年金制度が現在のような制度になるまで、どのように変わってきたのか時間の流れに沿ってみていきましょう。日本の年金制度の歴史は以外に古く、明治8年(1875年)に始まった海軍の恩給制度が日本で初めての年金制度といわれています。民間の会社員を対象とした年金制度のスタートは恩給制度に比べると遅れましたが、昭和17年(1942年)「労働者年金保険法」が導入され、この制度が現在の厚生年金制度の始まりとなりました。
戦前にスタートしたこの年金制度の財源はどのようなしくみだったのでしょうか?
軍人や公務員を対象とした恩給は、社会保障というより恩恵的な性格が強く、その財源は全て税金でした。終戦後、恩給制度は段階的に共済組合に移行され、財源を保険料とする現在の年金制度に変わりました。
一方、労働者年金保険法はスタート時、現業部門の男性労働者のみが加入対象でしたが、昭和19年には「厚生年金保険法」に改称して、加入対象の労働者も業種や性別を問わず全ての労働者が加入できる制度になりました。スタート当初の厚生年金の財政方式は、積立方式でした。ところが、終戦をきっかけに日本の経済は大混乱に陥り、インフレ状態となりました。このため年金制度もインフレに対応できず、戦後は一時的に休眠状態となりました。
その後、昭和29年には全面改正が行われ、厚生年金は再スタートしました。この改正により厚生年金の財政方式はインフレにも対応できるよう、現役世代の保険料を将来受け取る年金給付の積立と、シニア世代の受け取る年金の原資とする「修正積立方式」へと改正されました。
昭和30年代に入り、自営業者や専業主婦などが加入する国民年金がスタートし、「国民皆年金」が実現しました。国民皆年金の実現により、現役時代は保険料を負担するとともにリタイアメント世代の年金給付を支え、将来は納付実績に応じた資格により年金を受け取るという、世代間扶養による社会保険方式の体制が整いました。
その後も年金制度は、高度経済成長に対応した物価、賃金のスライド制の導入や産業構造の変化に対応する基礎年金制度の導入、そして急激な少子高齢化に対応する給付水準の見直しやマクロ経済スライド制度の導入など、時代背景に合わせた改正が行われています。
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