日本一の老舗店を探し、たどり着いた「本家尾張屋 本店」
老舗店でランチをする日々を通じて、「ところで、日本一古い飲食店ってどこなのだろう……」そんな疑問が湧いてきます。ランチを食べ歩く一方で調査を重ね、たどり着いたのが京都のそば店「本家尾張屋 本店」です。調べていく最中、まず何を提供する店なのか、場所はどこなのか……そんなことを思い、ワクワクしながらの作業でした。結果、“そば”でよかった。そして、“京都”でよかった。日本人としての正直な感想です。私も含め、万人の“納得性”も得られそうですし(笑)。同店は、地下鉄烏丸線の烏丸御池駅から車屋町通りを丸太町方面へ徒歩2分くらいでしょうか。左手に見えてきます。これまた日本一の老舗飲食店に相応しい面構え。“こうあって欲しかった”とういうビジュアルですね。お昼時は観光客や、黒塗りのクルマで乗り付ける方も含めて混雑します。私はこれまで4度訪れていますが、11時半前後か少し遅めの時間など、12時台のランチタイムをずらして伺うようにしています。
創業1465年(寛正6年)
創業は、なんと1465年。まったくいつだよ、というツッコミも“にやけて”しまうレベルですね。時は室町時代で年号は寛正。応仁の乱の直前というから驚きです。“100年店ランチ”をいう連載看板も吹っ飛んでしまう“500年店”です。創業時は菓子司。その後、次第に和菓子に加え“そば処”としてもその名を知られていくようになります。有名寺院や宮家の方々にもひいきにされ、江戸時代には御用蕎麦司(いわゆる宮内庁御用達)をつとめ、今なおその“暖簾(のれん)”を守っています。
540年余の歴史……現在、16代目を継ぐべく稲岡亜里子さんが(和菓子を中心に)奮闘中です。稲岡亜里子さんは写真家としても著名で、メディアでも露出している方ですね。正式に継ぐと、同店初の女性当主ということになります。“3代暮らして京都人”ではないですが、“16代”って……受け継がれてきたバトンの長さに閉口してしまいます。そんな本家尾張屋 本店が創業した1465年とはどんな時代背景だったのでしょうか……。
すぐに思い浮かぶのが1467年、社会の授業で習った“応仁の乱”。将軍家・足利氏や管領家の弱体化、世継ぎ問題がベースとなり起こった10数年に呼ぶ内戦です。その後に続く戦国時代への入り口となった史実でしょうか。しかし、こんな時代から続いているとは……同店の暖簾を守る心意気、単なるリスペクトを超越し、驚嘆、驚愕ですね。
では、江戸以前、室町時代からの歴史を背負うそば店へと参りましょう。