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不屈のプロゴルファー中嶋常幸の軌跡(2ページ目)

賞金王4回。世界の舞台で活躍し、2006年にはシニアとしてツアー優勝を果たすなど、日本が誇るプロゴルファーである中嶋常幸プロ。その足跡をたどり、50を過ぎてもなお輝き続けるその生き方に迫ります。

児山 和弘

執筆者:児山 和弘

ゴルフガイド

「トミーズバンカー」は大叩きの記念

中嶋プロは、長いプロ生活の中で多くのエピソードを持っています。

中でも有名なのが、1978年に初出場したマスターズの2日目に13打を打つ当時のワースト記録を作ったこと。この日は13日の金曜日。13番ホールで13打打ったということで、現在も多くのゴルフファンの記憶に残っています。

ちなみに1980年にパー3の12番でトム・ワイスコフが13打のワーストスコアを出しました。13番はパー5なので、現在のワーストはワイスコフが持っているといえるでしょう。

1978年には、同じく初出場したゴルフの聖地セントアンドリュースで行われた全英オープン。首位に1打差の3位で迎えたの17番ロードバンカーで、脱出に4打を要しまさかの「9」を叩き、そのバンカーは「トミーズバンカー」と呼ばれるようになりました。

2000年の全英オープンでは、優勝争いのただ中にあったデビッド・デュバルが「トミーズバンカー」に入れ脱出に失敗。8打を叩き敗北が決定的に。「トミーズバンカー」の恐怖を改めて世界中のゴルフファンが知ることになりました。

中嶋プロは、この時のことについて「ゴルフがこんなにも残酷なスポーツだとは思わなかった。野球なら代打もあるのに、あの突き刺さるような視線のなかで、出なくても出なくても、最後まで自分でホールアウトしなければならないんだ」と語っています。

1987年の全米オープンでは、15番で一時単独トップにたった中嶋プロが、18番でセカンドショットが松の巨木に当たり、そのまま落ちてこないという不運に見舞われ、まさかのロストボール。ダブルボギーを叩き優勝争いから後退しました。

後年、タイガー・ウッズがその舞台となったオリンピッククラブ・レイクコースの印象について聞かれた時、「87年の全米オープンのトミー・ナカジマのロストボールが一番記憶に残っている」と答えています。

日本人として前人未踏の活躍と、度重なる不運や試練。これらのエピソードは中嶋プロのゴルフ人生を象徴するエピソードだと思えます。

スペインのトッププロ、セベ・バレステロスから「世界で五本の指に入る美しいスイング」と評されたのは、非常な有名な話。青木功プロに続き、1990年前後に日本のゴルフを世界に発信し続けた功績は大変大きいものと思います。

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