まだPDAを使ったことのない方や、これからPDAを使ってみたい方々には、現在のPDAは不明な点などが数多くあり、今回の連載を通じてPDAという機器を少しでも理解していただける参考になれば幸いと思っています。
また、現在PDAを利用されているユーザーには、既に理解していることも多々含まれると思いますが、PDAという機器を再度見直すきっかけにして頂ければと思っています。
今回は、PDAが登場してきた歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。
PDAの歴史 1
1996年 PDAの登場
国内では「Zaurus」や「PILOT 英語版(現在のPalm)」、「Windows CE」などの登場により、電子手帳から一歩進んだパソコンと接続できる個人情報を管理する手帳(オーガナイザー)として一部のモバイルに関心の高いユーザーの注目を集めました。しかし、初期のPDAには、まだ様々な問題が存在していました。
【Palm】
Palmは、Palm OS2.0を搭載した「Pilot 1000/5000」が米国で発売され人気を呼んでいました。メモリは、128KBと現在のPalm機と比べて低いスペックながらも快適な操作性により話題と人気を呼んでいました。
しかし、完全な日本語対応版は存在しておらず、英語版に「J-OS(当時はJ-Suites )」を別途インストールして日本語化する必要がありました。「J-OS」のインストール自体は、それほど困難ではない作業でしたが、一般の店舗において一般消費者向けに販売するには大きなデメリットでした。また日本法人が無いことから国内流通ルートを通しての一般店舗への商品供給が出来ないことも大きな障害であり、一般消費者への普及には至っていませんでした。
【Windows CE】
Windows CEは、日本語版がまだリリースされておらず、英語版のWindows CE 1.0が公開されているにすぎませんでした。
Windows CE 1.0は公開されていたものの、Windows CEが目指すパソコンと連携してデータ互換が可能なスモールコンピュータ的な端末としては、OS自体の機能もハードウェア面も、その理念に追いついてはいない状況でした。
また、PalmやZaurusに対抗できる手帳サイズ製品も未発表であり、その後のリリースを待つことになります。Windows CEは、当時はまだキーボード型ハンドヘルドPCとも呼ばれ、ノートパソコンの簡易的な置き換え機器として期待されているに過ぎませんでした。
【Zaurus】
「Zaurus」は、唯一日本語が標準で利用できるデバイスでした。既にカラー化にも成功したカラーザウルス(MI-10)までも登場しており、他社よりも先進的なシステムとして発展をしていました。
ただ、国内で独自に発展したことで仕様も独自であり、PalmやPocket PCとは様々な点で異なるインターフェイスとなっていました。また、国内に対抗する製品がなかったことで、価格も高価であり、その面で一般ユーザーに普及できるまでには至っていませんでした。
1997年 日本語が使えるPDAへ
【Palm】この年、3ComジャパンがUS Roboticsを吸収合併し、Palm PILOT(英語版)が国内発売開始されました。当時は、山田達司氏の英語版「J-OS」を別途インストールする必要があり、本体の搭載メモリも少なく、機能もメモ帳程度の機能でしたが、いち早くPalmの先進性に触れたユーザーの手により、その後、多くのツールが開発されていくことになります。
こうした活動が、後の日本におけるユーザーのPalm開発環境とコミュニティの礎を作ることになります。
Palm PILOT Pro
【Windows CE】
Windows CEは、この年、カシオやNECから、CE1.01日本語版搭載のH/PC端末カシオペアが発売されました。日本語版の登場は早いものの、CE1.01日本語版は実用と言うには、ハードウェアも非力であり、OS自体の完成度も高くありませんでした。Windows CEが一般の消費者にも注目を集めるのは、翌年のCE 2,0の登場まで待たねばなりませんでした。
カシオペア A-50/A-51 NEC モバイルギア MC-CS11/CS12
NEC モバイルギア MC-CS13
【Zaurus】
Zaurusは、パワーザウルスを発表し、性能面では他社を一歩も二歩も上回っていましたが、価格も高価であり一般ユーザーには手が届きにくい端末となっていました。
翌年からのWindows CEやPalmの台頭により対抗し、ザウルスの持つ高い性能と機能のコストダウンへの新たな戦いが開始されることになります。
パワーザウルス MI-504/506/506DC
1998年 PDAの革新が始まる
【Palm】Palmは、この年いよいよ現在にも通じる本格的なPDAともいえるPalmIIIを米国で発表します。このPalmIIIシリーズの登場により、PalmOSは、オーガナイザーとしての実用機能の基礎を完成します。ただPalmの日本語版はされておらず、この時点でも英語版に「J-OS」のインストールが必要でした。
Palmが、広く一般の消費者に認知されるには、日本の販売代理店または日本法人の登場を待つことになります。
【Windows CE】
Windows CEは、この年、カシオやNEC、日立から、待望のカラー表示に対応したWindows CE2.0日本語版搭載のH/PC端末が登場し、インターネット利用が可能なモバイル端末として注目を集めました。
特に日立、NECの端末はカラー液晶を搭載し、当時はまだ大きく重いノートPCの代わりにモバイル通信できる端末として注目を集めたのでした。
とはいえ、当時に通信手段は、携帯電話かPHSであり、従量制の通信料金により、モバイル通信が大きく注目を浴びるには、2001年の AirH”の登場を待つことになります。
また、カシオからは、Palm-size PC CASSIOPEIA E-55(CE 2.11日本語版Palm-size PC)が発売され、PalmやZaurusと同じ手帳型端末の対応が開始されました。
しかし、当時のハードウェアでは、CE 2.11を快適に動かすには、あまりにも非力でした。
モバイルギアII MC-R500 日立 PERSONA HPW-200JC
CASSIOPEIAE-55
1999年 Palmも日本語版が出揃う
【Palm】この年Palmは、海外で現在でも名機と言われるPalm Vを満を持してリリースします。 また、国内では、待望の日本語版がIBMから「WorkPad」の名称で発売が開始されます。 Palmから独立したJeff Hawkins氏らが設立した米HandSpringから、「Visor」シリーズが米国で発表され、翌年には日本語版のリリースも発表となり、Palmの日本国内進出にむけ、時代が大きく時代が動く前触れの年となります。
WorkPad
【Windows CE】
Windows CEは、 H/PC Pro 3.0日本語版を搭載したキーボードデバイスがHp、NEC、日立、富士通など各社から続々と登場します。
H/PC端末としての完成度が高まり、キーボード型デバイスとしては程度認知されていく反面、ノートPCとの機能差から、コストパフォーマンスの問題も浮上してくることになります。
モバイルギア MC-R700 PERSONA HPW-600JC
【Zaurus】
ザウルスは、この年、低価格・小型軽量のザウルス アイゲッティを発売します。それまで、大型化と高価格化が進んでいたいたザウルスの新たな小型軽量・低価格化の展開が開始されます。また、小型軽量のパワーザウルスの名機 MI-C1も、この年発表されます。
ザウルスは、台頭するPalmやWindows CEに対し、性能面で優れた製品とレスポンスで対抗するとともに、価格、小型軽量な端末への新たな展開の一歩を踏み出し、翌年の衝撃的な新製品へ結びつけることになります。
パーソナルモバイルツール MI-C1 パーソナルモバイルツール アイゲッティ
次回は、PDAがブレイクする2000年以降の歴史を振り返ってみたいと思います。