「インセクト・ワールド」プロジェクトを追う<3>
2001年9月2日から始まった現代アートの祭典「横浜トリエンナーレ2001」。そのシンボル的存在の作品《インセクト・ワールド 飛蝗(ひこう)》が注目を集めている。ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル(以下インターコンチ)の壁に張り付く、巨大なバッタバルーンだ。作者は椿昇+室井尚。作家であり美術教師である椿と、哲学者で横浜国立大学助教授を勤めている室井のコラボレートによって生まれた。数々の困難を乗り越えて9月2日のイベント開幕に浮上したのだが、トラブルが続き降下してしまった。そのバルーンが9月23日に再浮上するまでを追った。
※この記事は2001年10月の情報です。
<INDEX>
【関連記事】
「インセクト・ワールド」プロジェクトを追う<1>巨大バッタ、再び空へ!
「インセクト・ワールド」プロジェクトを追う<2>巨大バッタ出現までの道
わずか2日間の命
トリエンナーレ開幕の夜に浮上させた喜びもつかの間、そのわずか2日後に事故が発生した。突風でワイヤーとバルーンをつなぐロープが切れ、バルーンを降ろさざるをえない状態になってしまったのだ。予想以上のハマ風の力だった。このころから、室井が勤めている大学の学生ボランティアが、大人たち以上に働きはじめた。「自分たちがしなきゃ、ダメだ」という気持ちがふつふつと沸きはじめていた。「ボクたちで上げます!」──中野・小松・新堀ら数名の学生が室井にそう言ってくれた。すぐに新堀がバルーンを固定する図面を引き直した。「バッタはもっと美しいカタチになるはず」そう思っていたからである。
学生たちが奮闘する中で、悲劇が起きた。バルーンを乗せている鉄骨─80kgもある一番上のスライダー─が曲がってしまったのだ。普通に見ると、曲がるとは考えられない太い鉄骨。それがいとも簡単に曲がってしまった。バルーンが受ける風圧の強さを、目の当たりにした瞬間だった。
新しいスライダーが到着するまでに2週間かかった。9月19日、ようやく室井と3人の風船工房スタッフ、学生ボランティアによって、再浮上の作業がはじまった。 緑色のシートと化したバッタは、台風で水浸しになっていた。中にも水がたまっている。めんどうなことに、台風が来る前に急いでスライダーを降ろしたため、生地がはさまっているところもある。
「足を引っ張りだそう」学生たちが動き出す。はさまっているところを探し、それを引っ張り出し、少しずつ作業が進む。監督役の中野が下から声をかける。 「スライダーを上げるので、位置について!」大きな声。演劇サークルに所属している学生だ。声の大きさが買われて監督になった。もう1人の監督は小松。足場の上で作業全体を見る。この2人が中心となり、学生ボランティアをまとめている。 「スライダー、上がります」と、女の子の声。この声の主・椎野も演劇サークルに所属している。ホテルの壁に反響して響き渡る。室井の指示はあまりなく、学生たちが自分で考えて行動している。
中野たちはこの作業をしながら、いつもこう思っていたという。「楽しいけど、ホントはくやしい。今は手伝う役だけど、将来は先生のように何か企画する側になりたい」と。その気持ちが、学生たちを動かしていたのだろう。
室井も椿も教師だ。その立場がこんなセリフをはかせた。
「この現場は学生たちを成長させているはず。こういうフィジカルな経験というのは、後々きっと役に立つ。今の教育現場は、箱の中だけで教えていることが多い。学生は責任を負わせることで、問題を解決する力がつく。そういう教育をもっとしていかなければならないが、残念ながらそうなっていないのが現状なんだ」 午後からは、バルーンを乾かすために胴体だけふくらませてみた。そして再浮上の作業初日が終わった。
風ニモ負ケズ 雨ニモ負ケズ
9月20日は曇天の中で作業が行われた。昨日の陽気とはガラッと変わり、寒さにふるえてしまうほど。スライダーとバッタの腹をワイヤーでくっつける作業が行われた。翌日は雨の予報が出ているため、バルーンに青いシートをかけ、17時に作業を終えた。 その翌日は天気予報がはずれ、時折強い雨が降るという悪天候になってしまった。浮上させる予定だったため、学生ボランティアは40名近くも集まっていた。中にははじめて作業に参加する者もいた。突風が吹き付ける中、残念ながら事故が起きてしまった。はじめての事故だった。学生の1人がスライダーに頭をぶつけてしまったのだ。幸い、たんこぶですんだものの、現場のショックの色は隠せない。その日、作業は早々に終了となった。
この日の深夜、関西の学校に勤めている椿が横浜入りした。自作のスタッフTシャツを持って。それは、毎日がんばっている学生ボランティアたちに配られた。その気合いを知ってか知らずか、翌22日は強風が吹き荒れた。無論、バルーンを上げることはできなかった。その悔しさを椿は自分たちが運営するインセクト・ワールドの掲示板にこう綴った。
23日、日曜日。今日こそはバルーンを上げたい。バッタの姿を待ちわびている人がたくさんいる。天候にも恵まれ快晴となった。が、相変わらず突風が容赦なくやって来る。2001/9/22(土)23:47 悔しい
今日はとにかく風が強くてくやしかった。いま848号室です。風がほとんど止まってて……うあーん夜が最高なのに悔しい!!
インターコンチからは珍しく富士山が見えた。「好天で空気が澄んでいる」という条件がそろった時にしか見えない富士山。それを部屋から眺めながら、椿は思った。
「運がいいぞ。きっとバルーンは上がる!」
起死回生の浮上大作戦
作業は朝から始まった。椿は中野と共に下から作業を見守り、室井は足場で作業を行った。「立ち位置はいいか!」
「スライダー上がります」
いつものように中野の声に続き、椎野の声が響く。バルーンが少しずつ、上がり始めた。その時、室井が大きな声を上げた。
「おい、スライダー、止めろ、止めろ!」
「はいっ、止まりました!」椎野が返事をする。
「ランドマーク側のロープがゆるんでる。落ちてくるかもしれない!」
一瞬、緊張が走る。もう二度と事故は起こしたくない。学生たちを危険な目には遭わせたくない。バッタの足下には、強風で飛んでいきそうな女の子もいるのだ。
確認後、再びスライダーが上がり始めた。今度は椿が叫んだ。
「止めろ~! 上がってないやないか! ロープはどうなっとる?」
足場の一番上にいた学生が大声で返事をする。「ゆるみがとれてます」
「よし、じゃあ少しずつ上げていこう!」椿の声に反応して、ゆるんだロープが伸びて、スライダーが上がっていった。今度はうまくいった。 順調に進むかと思われた作業は、強い風のために何度も中断した。「どうせ風を待つなら」と、早めの昼食時間となった。
実は、これまで学生たちの昼食はいつも室井と椿が負担していた。トリエンナーレ事務局から給付された補助金も、毎日の昼食代に消えた。学生たちの報酬は昼食なのだ。インターコンチ周辺のレストランは、ほぼ行き尽くした。「寿司以外はね」と女子学生が笑いながら言った。
最後の難関を乗り越えて
強い風もおさまり、午後からの作業は順調に進んだ。バルーンは上げる途中で強風にあおられるのが一番怖い。バッタの手足といっしょに、飛ばされる危険があるのだ。そこで、ふくらませながら上げる作戦に切り替えた。バルーンについている送風機のスイッチが入り、少しずつ少しずつ、布の固まりがバッタに変わっていった。雨で濡れているところもしだいに乾き始める。 おしり、足、胴体と空気が入っていき、かわいらしい顔が現れた。スタッフがテントのような布をたくり上げ、静かに作業が進んでいった。やがて、くりくりとした瞳が現れ、触角がピンと張っていく。人間の大きさほどもある大きな瞳が、下から見上げるギャラリーたちを見つめはじめた。 14時、バルーンはパンパンにふくれ、完全にバッタの姿となった。いよいよ最終段階だ。スライダーを最上段まで上げる作業のみとなった。足場に上がっていた学生たちは、下に降りてそれを見守る。誰もが完成を待ちわびていた。
ガクン、という音と共に椎野の声が響いた。「スライダーが止まりました」スライダーを上げる機械(=ウインチ)のパワー不足。パンパンにふくらんで風圧を受けるためだ。椿は思わずつぶやいた。「お金があれば、もっと強力なウインチにできたのに。こんなん、すぐに上がるのに」資金がない中での設備ゆえ、仕方がない。学生ボランティアにも頼らなければならない。トラブルで交換した設備の費用もかさんでいく。資金難がここでもスタッフたちを苦しめた。 「ガクン、ガクン」と4、5回、ウインチの電源が落ち、その度にガクッと全員が肩を落とす。室井が最後の決断を下す。「次に電源が落ちたら、完成にしよう」再びウインチのスイッチが入った。今度は電源が落ちない。「そのまま、そのまま」みんなの声に押されて、スライダーがするすると上がっていった。
「お疲れさま」「上がった!」歓声と拍手の中、作品《インセクト・ワールド 飛蝗(ひこう)》は完成した。
男たちの宴
その日の夜、昼食でよく行った焼肉店で打ち上げが行われた。若者たちがはしゃぐ中で、中年男たちも大きな声を上げて笑っている。このプロジェクトに大いに関わった戸田建設の関、パシフィコ横浜の八幡、インターコンチの小澤も参加していた。「できるわけない」とは言っても、誰ひとりとして「やめましょう」とは言わなかった男たち。彼らはきっと、心の中ではこう思っていたはずだ。
「バカバカしいけど、やってみたい」
その輪の中には、このプロジェクトの仕掛け人・河本の姿もあった。トリエンナーレのアートディレクターでもある。
「直感的にね、このふたりを引き合わせたら、何かしでかすに違いないと思っていたんです。そうしたら、こんなたいへんなことになってしまった! ちょっと後悔してますよ」と、ちっとも後悔していない顔で話す。椿、室井とともに、河本も借金をかかえている。
「ぼくら、奥さんに愛想をつかされてますよ、ね」と椿。照れくさそうに笑う室井。室井の妻も宴の席にいた。
「学生さんたちがホント、よくがんばった」
監督を務めた中野の肩をポンとたたく男がいた。毎日毎日、作業場に現れていたインターコンチの小澤だ。その賛辞に対し、中野はこう答えた。
「社会に出ていくなんて、つまらないと思っていました。でもこんなに遊び心のある大人たちがいるとわかって、ちょっと不安が消えました」 大人たちが身をもって教えたことは、確実に次の世代に受け継がれた。このプロジェクトに関わった学生たちは、きっと何かデカイことをしてくれることだろう。トリエンナーレが終了し、巨大バッタの姿は消えても、その瞳は人間社会を見つめ続けるのだから。(文中 敬称略) 【取材を終えて】
私がこのプロジェクトに興味を持ったのは、ホテルの壁に突然現れた巨大バッタの裏で、きっと何かが起こっていると思ったからです。トリエンナーレ開幕日に上げられたバルーンが降下した時、再浮上の場面を追ってみようと取材を申し出ました。案の定、困難にまみれたプロジェクトでした。取材をする中で、大人たちの「何かしたい」という情熱もさながら、そんな大人を支えたのが学生さんということ、そして超クールに働いている姿に心を打たれてしまいました。
残念ながら、この9月23日の再浮上の後にもトラブルが起き、バルーンは降下してしまいました。さらに、10月29日の降下作業中に強風のため破損、トリエンナーレ期間中の浮上は不可能になるという事態が起きてしまいました。インセクト・ワールドの公式サイトで、写真入りで説明があります。また、サイト内では募金の受付を行っています。共感を持たれたら、募金をお願いします。(※募金受付は終了しています)
Special thanks to「椿昇+室井尚」「横浜国立大学学生ボランティアの皆さん」「パシフィコ横浜」「ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル」「戸田建設株式会社横浜支店」「風船工房」「アートディレクター河本信治」「横浜トリエンナーレ事務局」(敬称略)
【関連サイト】
「インセクト・ワールド」プロジェクトを追う<1>巨大バッタ、再び空へ!
「インセクト・ワールド」プロジェクトを追う<2>巨大バッタ出現までの道
現代アートの祭典、横浜トリエンナーレ2005
横浜トリエンナーレ2008三溪園も見逃すな!