緑と水にあふれる2800坪の邸宅で
庭に「ここより山道」という案内がありました |
およそ2868坪(9000平方メートル)の広大な敷地には、衆議院議員を歴任した小坂順造氏の古民家を思わせる別宅が。1945年に、渋谷区の家が空襲で焼失した後には、ここに住まわれました。
庭は、国分寺崖線の起伏を利用した回遊式の庭園。庭園と一口に言いますが、湧水がわき出て、遊歩道を歩いていると、どこかの林に迷い込んだようです。
戦後、このあたりには灯りもなく、もちろん道路は舗装されているわけもなく、駅からは真っ暗な山道が続いていたそうです。
邸宅の中を拝見しました。
玄関の土間をあがると、12畳半の居間、それに続く茶の間。いつまでもたたずんでいたいような入側に使われている縁桁は、10.6メートルもある1本ものの丸太だそうです。ほっとさせられるのは、人の暮らした香りを感じるせいでしょうか。陽当たりのいい入側に腰をおろして、ぼんやり庭を眺めていると、目頭が熱くなるほど心があったまってくるのがわかります。
マントルピースのある書斎、2階建ての内倉、電話室、茶室など、邸宅内は変化に富んでおり、少しゆっくり時間をとったほうがよいでしょう。ここまで立派でないとしても、50代前後であれば、家のたたずまいに懐かしさを覚える方も多いはずです。
家の中もお庭も世田谷トラストによって、手入れが行き届いており、気持ちよく見学できます。
三菱財閥ゆかりの静嘉堂文庫
帰りはよいよい、さっきの馬坂を下ると、正面が静嘉堂文庫美術館へと通じる門になります。
小山といってもいいこの一帯は、岡本静嘉堂緑地と呼ばれ、もとは三菱財閥の岩崎家が所有する広大な庭園でした。やはり国分寺崖線の一画にあるため、水と緑に恵まれています。戦後、人の出入りがなくなったことが逆に幸いし、手つかずの自然が残っています。
左に続くなだらかな坂(といっても、やっぱりちょっとしたものですが)は、静嘉堂文庫と静嘉堂文庫美術館に続いています。
がさがさと音がするので、驚いて林の中を見やると鳥だった・・・そんな怖いくらいに静かな場所です。
英国風の静嘉堂文庫は、三菱財閥の四代目、岩崎小彌太(こやた)が大正13年(1924年)に建てたものです。二代目・岩崎彌之助が集めた、日本や中国の貴重な古典籍20万冊と国宝7点、重要文化財70点を含む美術品5千点あまりをコレクションしています。その一部は、左手にある美術館で観ることが出来ます。
静嘉堂という名前は『詩経』の句から採られたもので、彌之助の堂号でもあるそうです。
昼なお暗い鬱蒼とした庭園の中に、突如として現れるのがドーム型の屋根を持つ廟。これは岩崎家の納骨堂と知りびっくり。設計も、明治の洋館建築に大きく貢献した、あのジョサイア・コンドルによるものです。
URL:静嘉堂文庫美術館
住所:世田谷区岡本2-23-1
TEL:03-3700-0007
語らいはニコタマでデート
さて、帰りは再びバスで、二子玉川まで戻りましょう。岡本もみじ丘の停留所は、川の上。デザインされた東屋があります。川は谷戸(やと)川。多摩川の支流で、このまま遡っていけば、砧公園にたどり着きます。
帰りは、タカシマヤでお買い物かお食事でも。すぐに都会に戻れるという意味では、スイッチの切り替えが楽しめて、お散歩ビギナーにもなかなか親切なコースだと言えましょう。