<東京の海(東京で一番海に近い場所)>
羽田の大鳥居
多摩川も、河口に近くなって羽田から飛び立つ飛行機が見えるようになってくると、もはや海、と呼んでもいい。
まず、 風が変わる。
空が大きく広がり
船が波に揺れ、
カモメが飛び立つ。
堤防に腰掛け、身動きひとつせずそれを見ているおじさんたちの背中が、ひとつ、ふたつ、みっつ。
その視線の先に、大きな赤い鳥居が見える。弁天橋を渡ってみると、神社などはなく、白い柵に囲まれて、鳥居だけが風を受けて立っている。
これが、いわゆる羽田の大鳥居だ。
神社もなく、ほとんど水際にただ鳥居だけがある。
そのある種、異様な風景に、誰もが吸い寄せられるようにそばに行ってしまう。
なるほど、これはそれなりの物語をもつ鳥居なのだ。
そして鳥居だけが残った
京浜急行で羽田空港に行くとき、穴守稲荷(あなもりいなり)という駅を通る。この駅の由来となった穴守稲荷神社が、昭和のはじめ、まだ羽田穴守町にあったとき、参道にあった。
しかし、第二次大戦が終わり、進駐してきた米軍は、軍用の飛行場を建設するため、周辺に暮らす人々に強制退去を命じた。しかも48時間以内にである。
1200世帯・3000人が無人になるやいなや、家々は取り壊され、生活の痕跡はあっという間に皆無となった。穴守稲荷は、今の場所に移ったが、なぜかこの大鳥居はそのまま残されたという。
よく言われるのは、撤去しようとしたら、そのたびに関係者が事故に見舞われたというものだが、本当のところはわからない。
米軍が撤退した後も、大鳥居はぽつんと取り残されて静かに佇み、だんだん話題になることも少なくなっていった。
ところが、1998年、新しい滑走路を建設することが決定。いよいよ撤去かと思われたのだが、付近の住民をはじめとする有志が移転費用の負担を申し出たために、壊すことなくクレーンで移動することとなった。そうして99年2月、800メートルの距離を4日間もかけ、今の場所に移されたのである。
海の予感、“果て”を感じてたたずむ
周囲は確かに整備が進んでいるが、まだ、なんということもない“空き地”もある。公園でもない。浜辺でもない。でも、水が広がり、空が広がる、そんな場所。
カモメの声を聞きながら、 そこで腰をおろし海(河口)を眺めていると、ちょっと果てに来てしまったような想いにとらわれる。
赤い鳥居が連なる穴守稲荷。
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一番近い駅は京急線の「天空橋」(東京モノレールも連絡)。
どんなところかと期待に胸をおどらせ行ってみたが、こちらは、こじんまりとした京急線の駅だった。もっとも、この駅はもともと「羽田」という名前で、98年にこの名前に変わったところ。まだ歴史は10年足らずなのだ。
天空橋とは、多摩川にそそぐ海老取川にかかる橋の名前でもある。
All Aboutスーパーおすすめ大賞2006に推薦させていただき、審査員特別賞に輝いた「東京ストリートチャンネル」では、この駅の付近の様子をみることができるので、ぜひどうぞ。
このサイトは、でかけることがままならない時、ぼんやり街の様子を眺めるのにおすすめ。特に夜景は癒し効果があります。
●「天空橋駅」は、品川駅から京浜急行でおよそ20分。
途中、京急蒲田で乗り換えが必要な場合もある。
JR蒲田駅からならバスになる。
●羽田の大鳥居付近の地図はこちらへ→Yahoo!地図
(駅の大鳥居とは別の場所ですので、ご注意を)