悲恋のカップル お七と吉三
右は「八百屋お七」の碑。
お寺には、お七地蔵と、彼女が恋焦がれた吉三(きちざ)の位牌が保存されています。
八百屋お七、といえば、火のついたように恋しい人に逢いたくて火を放ち、ついには鈴ヶ森で火あぶりの刑になってしまった女の子として歌舞伎のネタにもなっています。
16歳というから、女の子、と言っていいでしょう。
吉三(きちざ)とは、火事で焼け出され身を寄せたお寺(文京区の吉祥寺とされるが諸説あり)で恋仲となりましたが、互いの家が新築され離ればなれになったことから、もう一度火事になれば会えるのではないか・・・と放火してしまいます。
少年犯罪花盛りのこのごろ、なにをあさはかな・・・と思う人もいるかもしれません。しかし、この一途さは、西鶴らの手によって、芝居に仕立てられ、人々の心をうちました。
15歳なら島流しですんだものを、「16です」と正直に答えたがために極刑になってしまった、というエピソードにも哀しさがあります。
お七を想い、出家した吉三
すごいのは、このお相手の吉三です。
お七の死後、 剃髪して僧になり、西運として、明王院(現在の目黒雅叙園付近)に身をよせました。
行人坂を石畳に直したのも、目黒川に太鼓橋を架けたのも、この西運です。
お七が惚れただけの相手だったということでしょうか。
余談ながら太鼓橋とは、行人坂をずーっと下りていき、雅叙園の先にある橋のこと。たもとには、「太鼓鰻」という有名なうなぎ屋さんがあります。
明王院は明治13年ごろ廃寺になり、大円寺が西運の位牌や念仏鉦(しょう=かね)などを引き継ぎました。
雅叙園の前には、お七の井戸がある(写真)のをご存じですか?
西運となった吉三が念仏行にでかける前に、お七の菩提を弔いながら、水垢離(みずごり)をとった(身を清めた)場所だとか。
雨の日も風の日も、西運は
鉦(かね)をたたき、お念仏を唱えながら
目黒不動と浅草の観音様の間を一心に歩き
とうとう「一万日日参」を成し遂げました。
一里をおよそ4キロメートルとしても
往復十里で約40キロ。
今なら東急目黒線の不動前から浅草まで電車で40分足らずですが
当時は、ひたすらに歩くしかなかったんですものね。
余談ながら、ときに振袖火事と混同されますが、振袖のほうはいわゆる明暦の大火(1657)と呼ばれるもの。舞台は本郷の本妙寺。お七のほうは天和2年(1682)です。なにしろ、こちらはボヤだったという説もあるんですよね。
山手七福神の大黒様
悲恋の話が長くなってしまいましたが、
大円寺は、山手七福神の「大黒天」を祀るお寺でもあります。
本堂の前には、石の七福神像も並んでいますので
7人の神様と一度にお会いすることもできます。
大黒様は、お正月の7日間のほか
「甲子祭」の日にご開帳されます。
そしてもうひとつ、このとき拝むことができるのが
国の重要文化財にも指定されているご本尊です。
生身の釈迦如来像
この寺のご本尊は、建久4年(1193)に造られた
清涼寺式釈迦如来立像(高さ167センチ)です。
清涼寺式、とは京都・嵯峨にある清涼寺にある
十世紀に宋でつくられた仏像を模したところからきています。
この仏像の胎内には、
お経だけでなく、人と同じように五臓がおさめられていたそうですが
大円寺の仏様にも
女性の髪の毛や「白銅菊花双雀鏡」という鏡が
おさめられているそうです。
そうしたことから“生身の釈迦如来像”とも呼ばれます。
急坂の途中にある、ふっと紛れ込みたくなるような境内。
目黒に行ったら、ちょっと行人坂を下りてみてください。
松林山 大円寺
●住所:目黒区下目黒1-8-5
●交通:JR/東急目黒線(東京メトロ南北線・都営三田線)「目黒」駅徒歩5分●地図:Yahoo!地図