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7月8日池田屋騒動!史跡めぐりは、いかが?

旧暦元治元年6月5日、池田屋騒動があった日です。新撰組に詳しくない方もこの事件は、ご存じのはず!今現在の池田屋は、どうなっているのかな?池田屋に関する史跡を写真で紹介!

執筆者:岡本 美科

皆さん7月8日は、なんの日かご存じですか?新撰組ファンや維新関係にご興味のある方ならすぐお判りになるはず・・・。そうです、世に言う「池田屋騒動」。元治元年6月5日(1864年7月8日)にあった事件です。そこで、今回は、今の池田屋やそれに関係するスポットを写真にてご紹介します。

京都・新撰組池田屋騒動
このプレートがある事を知っている方は、かなり新撰組に詳しい方です。殆どの方が、知らずに通り過ぎてしまいます。
この日、京都は祇園祭宵々山の日でした。その深夜、事件が起こります。池田屋は長州藩士の定宿として知られていた旅籠で、三条大橋から高瀬川に架かる三条小橋を渡った北側の7軒目にありました。現在は、パチンコ屋になっており、説明の看板と碑が建っているだけ。そのビルの東側に行くと道路には、プレートが埋め込まれています。

京都・新撰組池田屋騒動
現在の池田屋跡。入り口横には、池田屋騒動の説明書きと殉職者たちの名前が書かれています。


さて、三条大橋から三条小橋を渡り池田屋に突入した新撰組。その三条大橋は、東海道、中山道の終点としても 有名で、京都の玄関口です。現在、待ち合わせ場所としてよく使われる弥次喜多像が、橋の南西側に建っています。この橋は、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が造営させ、その後、幾たびか改修が行われ現在の橋は昭和28年に架けられたものです。擬宝珠は、12個あり天正年間当時のものもあります。そして、池田屋騒動の時についたとされる刀傷が、西より二つ目の南北擬宝珠にあります。
京都・新撰組池田屋騒動
これは、南側の擬宝珠の刀傷。なんだか錆た感じで歴史を感じさせます。


池田屋騒動の跡の池田屋は、廃業となり佐々木旅館へと変わりました。昭和6(1931)年まで営業されてました。現在、池田屋は、東映太秦映画村に復元されています。
京都・新撰組池田屋騒動
映画村には、この他に寺田屋などもあり、当時にタイムスリップできます。


京都・新撰組池田屋騒動
60坪ほどの旅館で、内部は1階に4部屋、2階には7部屋の客室があったといわれています。


京都には、沢山の維新関係の史跡が残されています。特に洛中には、沢山の碑が建てられており説明書きもあり、ふらふらと散策しながら楽しめるようになっています。大河ドラマ「新撰組!」が放送された年は、多くの方が史跡巡りをされていたようですが、今は比較的落ち着いて見学できます。これを機に、京都の維新に関わる史跡巡りをしてみませんか。歴史好きの方なら、はまる事間違いなし!
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

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