夫と妻は家庭株式会社の社長と社員
長年お気楽な生活をしてきて、離婚を言い渡された熟年の女性は、それからがたいへんです。これといった能力がないため、仕事としてはパートくらいしかないでしょう。そうすると、年収はたかだか100万円とか、いっても200万円ほどでしょうから、まずは経済的にたいへんな状態に陥ります。
それまでは、経済的な実力としてはパートの収入くらいしかないにもかかわらず、いい気になるわ、夫に対しても上からものを言うわなど、明らかに甘えていたわけです。
それがすっかり夫にバレてしまい、もう離婚すると言われるやいなや、まるで掌を返したように、「ごめんなさい」と言って泣きすがる。だけど、そこまで行ってしまえば、泣いて謝ればなんとかなる、というようなことではなくなっているわけです。
もちろん、なかには「わかった。わかった」と言って、負けてしまうというか、優しく受け止めて、許してしまう夫もいます。私は、それならそれでよいのではないかと思っているんです。
なぜならば、夫婦って会社組織のようなところもあるからです。社長がこの社員はダメだ、使いものにならないから「明日から来なくていい」と言ったとします。それに対して社員が、「すいません。反省して明日からは、しっかりやります」と泣いて謝ると、彼女は長年この会社で働いてきてくれたのだから、まあ、いいかといって許す社長だっているでしょう。
反対に、いくら反省した様子を見せても、「どうせ、また仕事中に長々と友達に電話したりするだろうから、もうだめだ」と、けっして許さない社長もいるはずです。そのとき、許す社長は偉い社長で、許さない社長はダメな社長ということにはならないでしょう。会社をクビにするにせよ、離婚をするにせよ、似通ったケースはあるものの、細かい事情に関しては千差万別です。そのため、あくまでもケースバイケースで判断すべきで、一概に言うことはできません。
いつの時代も、「覆水盆に返らず」
覆水盆に返らずとは、盆のなかからこぼれてしまった水は、もう元にはもどらないことから、いったん離別した夫婦の仲は元通りにはならないことに言います。
そのことは、わりあいによく知られているのですが、これは中国の実話に基づいた格言なんです。昔、周に太公望という人がいたそうです。太公望はまっすぐな釣り針で魚釣りをしていたことで有名ですね。その太公望には奥さんがいたのですが、太公望が本ばかり読んでいたので、とうとう愛想をつかして出て行ってしまいました。しかし、その後に太公望が大出世したので、その妻が復縁を求めてやってきました。
そのとき、太公望はお盆になみなみと水を注ぎ、それを妻の目の前でザーッとこぼしました。そうして、こぼれた水を元通りお盆のなかにすべて収めることができたならば、復縁しようと言いました。その故事から、いったん離別した夫婦の仲や、大きなことをやらかしたときなどは、もう元には戻らないということを、「覆水盆に返らず」と言うようになったわけです。
世の中には、離婚相手と再婚をしたいという人もいますが、それは全体から見れば、きわめて少数です。その意味では、「覆水盆に返らず」は、いまの日本にもあてはまる故事だといえるでしょう。
さて、夫婦や家を会社のようなものだと考えると、夫は社長で、女房はさしづめ社員ということになるでしょう。なかには、副社長が二人のような家もあるでしょうし、会長と社長がふたりというような家もあるでしょう。まったく対等なパートナーという家もあるかもしれません。
しかし、いまも圧倒的に多いのは、夫は社長で女房は社員という家ではないでしょうか。その家庭株式会社は、会社を大きくしていこう、社会の役にたつものにしていこうなど、さまざまな目標を立てて、それぞれに頑張っているわけです。
その家庭株式会社では、社員が社長に愛想を尽かす場合もあります。遊び好きなうえ、自分が一生懸命やっていても理解してくれないような社長なら、もうついていけないということになります。社員のほうからすると、もっとよい社長がいるはずだ、もっと条件のよい会社があるはずだと、とらばーゆしたくなるでしょう。
私は、離婚のカウンセリングに来る男性に、よく物事をおきかえて、このように話をします。そうすると、たいていの男性はよく理解してくれます。(次のページに続きます)