離婚/離婚を決意する前に

DVのこれから(2ページ目)

夫婦。その対等な関係に「暴力」の入り込む余地はない。DVの今後を、どう見ていくか?「自分には関係ない」という第三者の無関心が、被害者への差別や加害者の増長を招くのではないだろうか。

岡野 あつこ

執筆者:岡野 あつこ

離婚ガイド

子供の「いじめ」を例に取って、考えてみよう。

子供たちは、新しいクラスに編成されたばかりのころ、誰もがクラスメイトとして対等だ。しかし子供だちはやがて、成績や、見た目や、家庭の事情、性質など様々な要因によって、少しずつ当初の対等さを失っていく。

それに加えて、誰かに何かを借りたり、借りたものを壊したり、気の利いた返事をできないでいるうちに少しずつ、誰かが誰かに「弱み」を握られていく。それは、いつかは多くの子供の「知るところ」となるし、「弱み」を握られた方の子供はみるみる、逃げ場をなくしていくのだ。

もはやクラスメイトは対等ではない。そんな幻想を信じているのは先生か親たちだけで、しかし、そのギャップがまた、追い詰められた子供たちを苦しめる・・・。

子供の「いじめ」が始まる瞬間には、センセーショナルな事件など必要ないのだ。そこにはごく日常的な「勝ち負け」や「損得」や、「かっこよさ」「みっともなさ」があるだけだ。しかし、そんな小さなプラスとマイナスの「降り積もり」こそが、教室の中に、窒息しそうな息苦しさと牢獄を作り上げていく。

そう、共に働き、たまにデートの費用を出し合うような、そんな、恋愛中には「対等」であったはずの夫と妻の関係性にしても、子供たちのそれと同じようにさりげなく、失われていくものなのだ。経済的事情、育児、社会の常識や慣習などの様々な要因。それらは少しずつ、夫と妻の間から、対等さを奪っていくが、幸福であるうちは、2人は気付かない。主に妻の方が気付かないのだ。

夫は、妻がかいがいしく「妻」を演じてくれているうちは、もちろん何の文句もない。妻自身も、「対等でなくなっていること」に気付くまでは、優しい妻でいることができる。

が、妻も、いつかは気付くだろう。その際に夫と話し合える余地が残っていれば幸いだが、すでに「教室の片隅に追い詰められた子供」と同じくらいの危機に立たされていたとしたら、どうだろうか。

自分名義の貯金もなく、職もなく、家庭の中で夫に対し、対等に意見を言えるような自由すら失われてしまっているのだとしたら・・・。

結婚して初めは幸福に暮らしていて、そこまで不平等になってしまうなんて尋常じゃないと、人は言うかもしれない。が、それは現実に起こっていることであり、DVを作り出しているのも、まさにそんな「現実」なのだ。「DVと無縁であるための法則」への道のりは、未だ遠い。
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