シンプルが加速して「葬儀は不要!」と言う人も出現していますが、実はコレは心の病に発展しかねない危険な考えであることも認識しておかなければなりません。葬儀は単なる儀式ではありません。これから起こりえるさまざな悲しみのプロセスを乗り越える大切な一幕なのです。
葬儀を軽視している人は要注意
「葬儀は適当でいい」と軽視しすぎている人が増えています。遺族が段階を踏んで悲しみを癒すためには葬儀は大切なプロセスだという専門家も多いことを忘れてはいけません。 |
【間違い1:葬儀はできるだけ早く行ったほうが良い】
「少しでも早くお葬式が終われば、平穏な生活にもどり自分達のリズムを取り戻すことができるに違いない。そうすればいくらかでも苦しみがまぎれるかもしれない……。」そう考える人も多いかもしれません。しかしその行為は悲しみを否定していることにつながりかねません。悲しみを通り抜けて向こう側にたどりつくには、真正面からぶつからなくてはいけないのです。
【間違い2:身内だけで送ったほうがいい】
「死を受け入れる余裕もないまま儀式と弔問客への接待に縛られるような葬儀は無駄!」と思ってはいませんか。故人の死を悲しんでいるのは身内だけではないでしょう。故人の死を一緒に受け止めたいと思っている人たちを締め出してしまうことは、その人たちから得られることになるかもしれない支えも拒否することになります。
【間違い3:通夜・葬儀の儀式は不要】
人類は、今日まで儀式を大切にしてきた生き物です。人生の節目節目の場面で「通過儀礼」が日本に限らず、世界中で行われています。儀式を通じて指針や精神的なつながりを得ることができました。
儀式を軽んじると悲しみを受け入れられずにいる期間をいたずらに長引かせる結果にもつながってしまいます。
そもそも、葬儀はなぜ行うのでしょう。その理由は次ページで。