大阪の観光・旅行/大阪関連情報

1800年の歴史を誇るまち「住吉」を歩く(2ページ目)

ターミナルシティの梅田やネオンサイン輝く道頓堀、ディープ下町な新世界など、大阪には多種多様な「まち」がありますが、今回は大阪きっての歴史を誇る「住吉」をご紹介!たまにはこんな大阪散策もいかが?

執筆者:陸奥 賢

3、生根神社

「何首鳥」(漢方薬)と刻まれた石神明穴立石です。ちなみに少彦名命は「薬の神様」として崇拝されています。
閻魔地蔵からルートを南に下ると、たどり着くのが生根神社。こちらは住吉大社より古くから当地に鎮座していたという伝承があって、ご祭神は少彦名命。現在の本殿(大阪府指定重要文化財)は豊臣秀吉の奥方・淀殿の寄進で造営されました。本殿東側にある穴のあいた石=神明穴立石は霊石で、「何首鳥」(漢方薬、強精剤の名前)と刻まれています。モノに言葉を記すと、そのモノに言葉の力が宿る、という「言霊信仰」を感じます。生根神社からさらに南に向かうと、到達するのが一運寺です。

4、一運寺

なんと赤穂浪士の墓が住吉・一運寺の境内に!初めてみたときは僕も本当に驚きました。「忠臣蔵」の知られざるサイドストーリーです。よく見ると、ちゃんと墓石にも「大石内蔵介良雄」と刻まれています。
推古21年(613年)に聖徳太子が建立して、最澄、空海、法然も説法したという住吉きっての名刹です。境内にはなぜか赤穂浪士の大石良雄・主税の親子と寺坂吉右衛門のお墓があって、これは赤穂浪士を資金面で援助した大阪商人・天野屋利兵衛の子孫が建てたものです。

利兵衛は赤穂浪士の武器として大量の槍を堺の武器職人に製作依頼しましたが、職人たちは突然の臨時収入に喜んで、住吉の料亭・三文字屋で豪遊しました。このとき運悪く隣座敷に町奉行の与力衆がいて、「なぜ職人がそんな大金を?だれが武器製作を依頼したのか?」と怪しまれてしまい、利兵衛は捕縛されて拷問されます。しかし義理堅い利兵衛は「天野屋利兵衛は男でござる!」と啖呵を斬って赤穂浪士の吉良邸討ち入りが終わるまで決して口を割らなかったといいます。

赤穂浪士といえば、武士の仇討ち物語だと思われていますが、じつは資金面で援助した義理堅い大阪商人もいたというわけです。ちなみに捕り物劇の舞台となった料亭・三文字屋の跡には、現在では奇しくも住吉警察署が建っています。
  • 前のページへ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 5
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます