精神科医 最上悠先生の分析
人間関係・コミュニケーションの難しさについて精神科医最上悠(もがみゆう)先生におうかがいしてみました。最上先生談 その一
問題は、ひとつの出来事の意味だけにとらわれすぎるにではなく、それも含めた全体の夫婦の関係性がどうなのかということで大きく評価は違ってくるのだと思います。
基本的な信頼関係があるのならば、多少の行き違いが一時的にあっても、お互いに確認しあえることだと思うのです。
特に事例1のようなことならば、けんかが時々あるのは健全とさえ言えるのかもしれません。
逆に言うと、こういった事例1のようなささいなことでさえ許せないほどつらくなるとか、ましてや事例2のように重要な子供の問題においてさえ、コミュニケーションがこのようになりたっておらず一方通行だとするならば、実はこれはふだんの関係性の大きな問題のように思うのです。
ですから、ここで何か一言、文句を言うべきか?言わないべきか?の問題では終わらない可能性があるのであれば、こういった事例から問題そのものを背景の本質的な問題を直接話し合おうとしなければ
小手先だけで解決に至らない可能性はありますよね。
日々のささいなことで、いつも水かけや感情的なもつれになるようなら、もうひとつ、そもそもコミュニケ-ションが成り立っていないのでは?といったところも共通の話題にしたいところですよね。
それでも相手が関心を持たないようであれば、非常にあなたはなめられていると思って いいのではないでしょうか?その場合には、単に小手先では解決はしないでしょう。
そんなささいなことで大げさな?と思う人もいるかもしれませんが、ひとつひとつの問題はささいであったとしても、
そんなささいなことでストレスを大きく感じるのだとしたら、やはりコミュニケーションや関係性の破綻は極めて
深刻なのだと理解できるのではないでしょうか?