海水浴前駅跡で見たものは……
この駅のあった場所を確かめてみたいと思い、武蔵白石駅まで戻って下車した。当時の地形図があれば、ある程度場所もはっきりわかるのだが、あいにくそういった資料が手元にない。そこで、国土地理院が提供する空中写真(1947年7月9日撮影)を見てみる。終戦の2年後、駅の廃止からは4年後の写真であるが、それほど変わっていないだろう。
かつての運河にかかる竹之下橋。写真奥が海水浴前駅方向 |
かろうじて確保されている狭い歩道を行く。ダンプカーや大型トラックが、砂ぼこりをたてながら行き交っている。歩いている人などまったく見当たらず、いよいよ不審人物確定のようだ。
10分ほどで橋が見えてきた。二条あった流れの一方を渡る橋で、「竹之下橋」「昭和三十年三月竣功」とある。この橋の向こうに、渡船場があったのだ。橋の下をのぞき込むと、ほとんど水はなく、底の泥がむき出しになっている。水質があまりよくないのか、かすかな異臭が鼻をつく。
旧・海水浴前駅付近。痕跡は何も見当たらない |
わかってはいたものの、何となく虚しさを覚えて立ち尽くした。真夏を思わせる陽射しがアスファルトに照り返す。思わず天を仰ぐと、太陽に目が眩んだ。
その時、ここから海水浴に向かう人々の姿をはっきりと見た。大人も子どもも皆笑顔で、幸せに満ちていた。彼らは沖にある海水浴場で、のんびりと楽しい夏の一日を過ごしたことだろう。
それからわずか数年後、戦争が始まった。京浜工業地帯は、軍事上重要な地域となった。そんな時代の波にさらわれるかのごとく、海水浴前駅は消えた。
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生麦魚介商組合による紹介。
■空中写真閲覧サービス(国土地理院)