
定年を迎え、年収が激減する中高年層が増える現代。「60歳を過ぎて、本当に自分を雇ってくれる場所はあるのか」と不安を抱いている人は少なくありません。
60代を迎え仕事が激減した63歳のライターが、一念発起して応募したのが、都心部にある大手ファストフードチェーンの「週末3時間・時給1300円」という好条件求人でした。
髪の毛の抜け落ち防止ネットに悪戦苦闘し、20代の若者に囲まれる華やかな職場で彼が任されたのは、セルフサービスのフロア業務。体力的には問題ないと感じたものの、高齢客の注文をサポートする局面で、スマホ世代には絶対にわからない“高齢者ならではの壁”が立ちはだかります。
「外食産業で年配者は間違いなく需要がある」と確信した、リアルな体験談とは? 話題のノンフィクション『60歳からのハローワーク』(飛鳥新社)より一部抜粋・編集してお届けします。
目次
63歳、人生初の「外食産業」へ挑戦
飲食店でも自分を試してみたかった。
ハンバーガーや牛丼などファストフード店に客として訪れると、同じ世代の人が働いている。男性も女性もいる。厨房(ちゅうぼう)の奥でなにかしら作業をしている。あるいは、フロアで掃除をしたり、テーブルを消毒したり。感じのいい人が多い。
カウンターでオーダーを受けるような目立つ仕事は、かわいらしい女子やイケメン男子がテキパキと行っている。
外食産業やホテルのレストラン部門の求人は少なくない。採用される条件の1つに、よく検便がある。食中毒対策だ。求人サイトを通して検便を行い、体内に病原菌がいないことを証明しなくてはいけない。
最初のハードルは「検便」。時給1300円・週末3時間のバイトに採用
メジャーなファストフードチェーンの店舗の求人をいくつか見つけたので、求人アプリに検便を申し込むと、自宅にキットが送られてきた。透明の容器に液状の薬品が入っている。細い綿棒の先っぽに自分の黄金をちょっぴり乗せて容器に入れて送り返した。
数日後、求人サイトを通してスマホに結果が届いた。
赤痢(せきり)菌=陰性。サルモネラ菌=陰性。チフス菌=陰性。パラチフス菌=陰性。腸管出血性大腸菌=陰性。
結果はパーフェクト。
これで外食産業でも働ける。さっそく、都心部にある大手のファストフードチェーンの求人に応募。採用になった。条件は比較的よかった。時給1300円。
ただし、労働時間は短い。週末の午前11時~午後2時の3時間。繁忙時(はんぼうじ)だけ働いてほしいというオーダーだ。休憩はもちろんなし。
ロケーションは高額所得者が多く住む地域で地下鉄駅の近く。客席数は30。こぢんまりした店舗だった。30代後半くらいの店長を含め6~7人で切り盛りしている。僕のほかは、おそらく全員が常駐。50代と思われる女性が1人いて、あとは全員20代女子だった。華やかな現場だ。実際にシステマチックに効率的に機能していることがよくわかった。
宅配の会社で働いたときにも感じたが、大手企業は働く環境が実によく整備されている。その職場にだれが来ても機能するようになっている。
バックヤードの更衣室で制服に着替えて、フロアに出た。髪の毛の抜けの抜け落ち防止のためにキャップの下にかぶる網がうっとうしい。ネットの着用はチェーン系外食産業ではいまやスタンダードだ。
難関はタッチパネルのフォロー?
店長から言われた仕事は次の通り。
1. 「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」を大きな声で言う。
2. 来店者をテーブルへアテンド
3. 食後のトレイを片付けるサポート
4. タッチパネルのサポート
5. ゴミ箱内のビニール袋の交換
このチェーンはセルフサービスなので、食後のトレイはお客さん自身が自分で片付けることになっている。それをあえて従業員が行うことによって、店のイメージが上がるのを狙っているそうだ。
オーダーは基本的にタッチパネル。操作が複雑なので、高齢者は使いこなせない。サポートしないと、その後ろに長蛇(ちょうだ)の列ができてしまう。
ほとんどの仕事は問題なくできると思ったが、タッチパネルのサポートは不安だった。自分自身がふだん利用していない。ファストフード店を訪れて、タッチパネルと有人のカウンターがある場合は、迷わずにカウンターでオーダーしている。
タッチパネルの複雑化は著(いちじる)しく、もたもたしてしまい、後ろに並ぶ若い客にいらいらされると自分が傷つくからだ。「ジジイ、早くしろよ」という声が聞こえてきそうで焦ってしまい、操作を間違える。その結果、次の人に順番を譲ったり、そこで食事をするのをあきらめたり。
そんな自分が、果たしてお客さんをサポートできるのか。これはチャレンジだと思った。
気づけば30席のフロアを1人で回せていた
フロアはあっという間に満席になった。お客さんの回転はいい。新客がどんどん訪れ、どんどん食べていく。
ファストフードの仕事は、山小屋の歩荷(ぼっか)やゴミ収集と比べたら軽作業と言っていい。体力的にはまったく問題ない。うまくできていると思うと自信がわき、それがエンジンになり、いくらでも動ける。気づくと、フロアはほぼ1人で受け持つ状況になっていた。
心配していたタッチパネルのサポートも問題なくできた。自分が客の場合は、面倒なことは避けたい。しかし、今回は店舗側の人間だ。仕事だ。だから、タッチパネルを本気で理解し操作を行う。自分が客のときは集中度が違う。
しかも年配者に替わって操作してさしあげると、ものすごく感謝される。そのお客さんが店を出るときには、挨拶に来てくれる。
「先ほどはありがとうございました。また来ますね」
笑顔で帰っていく。うれしい。この地域には品(ひん)のいいお年寄りが多い。
それでも、問題は起きた。
画面が反応しない……! 乾燥指との戦い
高齢の女性のお客さんに替わって、タッチパネルを操作していたときのこと。パネルに触れても反応してくれない。アイスコーヒーが買えない。お客さんと顔を見合わせる。
「すみません。僕は63歳なのですが」
打ち明けた。
「はぁ……」
彼女が不安そうな顔になった。自分が頼っている相手が自分に近い世代だと悟った。
「指が乾燥していて、パネルが反応してくれないようです」
タッチパネルの多くは静電気を利用して機能する。指が乾燥していると、静電気が発生しづらく、機能しないことがある。駅のチャージ機でも、スマホでも、頻繁に起きる現象だ。
「あらっ、私と一緒」
彼女はちょっとうれしそうな顔になった。
「少し失礼して、厨房で指を濡(ぬ)らしてきますね」
そう言って指先を湿らせた。
戻ると、湿った指で、思い切りタッチパネルを叩いた。
パン! パン! パン! パン! パン!
無駄に力を入れてタッチパネルを叩くと、愉快なくらい反応する。お客さんがキャッキャとはしゃぎだした。
「スゴイ! スゴイ! どうもありがとう」
「どういたしまして」
後ろに並ぶ若い男子もパチパチと拍手(はくしゅ)してくれた。
そんなことをしていたら、あっという間に3時間が経った。
外食産業にシニアの需要は確実にある
「お時間です。私が引き継ぐので上がっていただいてかまいませんよ」
この店で僕の上司に当たる20代女子がやってきた。更衣室で自分の服に着替えて挨拶して、店を出た。
「コウダテさん!」
店舗の前で後ろから呼ばれた。ふり向くと“上司”だった。
「今日はすっごく助かりました。ありがとうございます。できたらまたいらしてください」
そう言って手を振ってくれた。
楽しい1日だった。
この日から、ファストフード店を訪れると、以前よりも店舗内を観察するようになった。ハンバーガーチェーン、牛丼チェーン、カレーチェーン、フライドチキンチェーン……。どのお店でも、外食産業で年配者はまちがいなく需要がある。
この書籍の執筆者:神舘和典 プロフィール
1962(昭和37)年東京都生まれ。雑誌および書籍編集者を経てライター。政治・経済からスポーツ、文学まで幅広いジャンルを取材し、経営者やアーティストを中心に数多くのインタビューを手がける。中でも音楽に強く、著書に『新書で入門 ジャズの鉄板50枚+α』(新潮社)など。






