その後、彼女はシングルマザーとして2人の男の子を育て上げた。一時期は父親と関係を断っていた子どもたちだが、野球を通じて再び父親と接するようになる。4人で食事をすることも増えていったようだ。今では清原さんの誕生日を家族で祝えるところまでいったのだろう。
離婚しようと別居しようと、時期がくればまた家族が集まることは可能だし、逆に一緒にいても心が通い合っていないこともありうる。「形」が整っていればいいというわけではない。
離婚はしたけれど
夫の浮気が原因で離婚、その後、いっさい連絡をとりあっていなかったのだが、10数年ぶりに元夫と再会したというケイコさん(49歳)。「30歳のときに生まれた一人娘が去年、高校を卒業したんです。離婚したのは娘が3歳になった頃。私の妊娠中、さらに出産してからも浮気をしていた夫とは、体調が戻ったらすぐにでも離婚するつもりでした。ただ、夫がどうしても離婚したくない、自分が変わるからやり直してほしいと懇願したから、私もやり直す方向で頑張ったんです。でもその誓いは3年ももたず、またも浮気。金輪際、顔も見たくないと言って娘を連れて家を出ました」
その後、離婚が成立。養育費だけは振り込まれていたが、元夫からの「娘に会いたい」という要求をケイコさんは拒絶し続けた。
「私自身が元夫を憎んでいたんでしょうね。どうしても娘には会わせたくなかった。ただ、娘が中学生になった頃、元夫は娘の通学路で待ち伏せしていたようです。しばらくたってから、『このごろ、お父さんに会ってる』と娘から聞きました」
娘にとってはただ一人の父親
当時はショックだったとケイコさんは言う。必死に働いて育ててきたのは自分なのに、元夫は今さら父親面して娘をたぶらかそうとしている。そんなふうに思っていた。これからもお父さんに会っていいかと娘に聞かれたとき、本当は「ダメ」と言いたかった。「でも、そこで気付いたんです。私にとっては裏切り者のダメ夫だけど、娘にとってはたった一人の父親なんだと。私の父からもそう言われて、少し考え方を変えました。元夫はずっと独身で、娘が私立高校に入るなら費用は自分が出すと言っていたと聞いて、父親らしいことをさせてもいいかと。苦渋の決断でしたけどね」
娘には自由に会っていいけど、会うときは前もって知らせることを約束させた。一方で、ケイコさん自身は会うつもりはなかった。
娘は第一希望の私立高校に合格、その後、さらに第一希望の大学にも合格した。大学の初年度費用も元夫が全額出してくれるという。
家族3人で食事をすることに
「今度、3人でごはんを食べようとお父さんが言うんだけどと、娘が遠慮がちに言ったのが去年の春。元夫は娘に手紙を持たせました。それを読むと、真摯(しんし)に反省しているみたいだったし、娘に会わせてもらえるようになってから生きる張り合いが出たって。1度だけでいい、会ってほしいと書かれていたので、渋々ながら出掛けました」28歳で結婚する前は5年も付き合っていた2人だ。同じ大学での友人だったから、知り合ってから結婚するまで9年、結婚してから5年、14年もの間、ともに生きた人だった。離婚してから、ほぼ同じような期間を、ケイコさんは娘のためだけに生きてきた。
「娘が大学生になって少し肩の荷が下りたと同時に、これだけの時間がたったのだから再会してみてもいいかなと思ったんです」
元夫の顔を見て老けたなと思った。彼もそう思っているだろうと察したが、娘が席を外したとき「苦労かけた。申し訳なかった」と夫は手をついて謝った。
「もういいわよ。逆に娘の成長過程を見せてあげなくてごめんと私も言いました。素直にそういう言葉が出てきた。目が合って少し微笑み合ったとき、若い頃の自分はこの人が大好きだったなと自然と思い出しました」
元の鞘に収まることはないが
それ以来、月に1度くらいの頻度で、家族3人で食事をするようになっている。元の鞘に収まらないのかと友人に聞かれることもあるが、「それはない」とケイコさんは言っているそうだ。「2人とももっと年齢を重ねたら助け合うことはあるかもしれませんが、もう一度、結婚することはないんじゃないかなと思います。今は気楽に、娘を交えて3人で食事をするだけでいい。夫婦は壊れても、娘がいれば親同士として相手を見ることはできますから」
ふだんはあまり連絡をとらなかったが、今年になってから、時々メッセージアプリを使ってたわいもない話をすることもあるという。「家族」ならではの安心感があるような気がすると彼女はにっこり笑った。