妻の気持ち
結婚して15年、いつしか夫とは会話がなくなっていた。帰宅後も「ごはん、食べる?」「うん」とか、「あ、あさってから2泊で出張」「そう」とかいった無味乾燥な言葉が飛び交うだけ。「以前だったら、出張、どこに行くのとか、このところ忙しそうだから体に気を付けてよねとか、もう少し優しい言葉をかけていたような気がするんですけどね」
ルミさん(43歳)はそう言う。相手の気持ちを知りたいのは愛情の1つの発露だから、出張先も聞く気になれないとなると関心を失っている証拠だろう。
「いつからかな、夫にまったく関心を持てなくなったのは。2歳違いの子どもたちをワンオペで必死に育てていたころ、気持ちが離れていったんだと思います。あのころ、夫はけっこういつもイライラしていて、深夜にふらふら起きてきた息子が嘔吐して夫の足にかかったとき、息子をすごい勢いではねのけたんですよ。息子はもんどり打って体を食器棚にぶつけて、すぐに救急車を呼びました」
夫は酔って帰宅していたのだが、それでも具合の悪い息子を大人の男の力で押しのけたのが許せなかった。当時、息子は4歳だった。2歳の娘を家に置いておくのが不安で、ルミさんは娘を背負って救急車に乗った。
「息子は未明には帰宅できたんですが、帰宅しても夫は高いびきのまま。鼻と口を押さえて息を止めてやろうかと本気で思いました」
心は離れているが
朝になって、夜中の事態を知った夫だが、実感がなかったのか息子に謝ろうとしなかった。息子はそれ以来、どことなく夫を避けるようになった。「私も子どもたちを夫にあまり近づけなくなった。もともと夫は子煩悩というタイプでもなかったから、子どもたちは自然と夫から離れた。そうなると夫も子どもたちに直に話しかけるようなこともなくなって……」
あのときもう少し上手に自分が立ち回っていればよかったのかもしれないと思うことはある。だが息子を思いきりはねのけた光景を、ルミさんはいまだに忘れられずにいる。
「11歳になった息子は覚えてないでしょうけど。ただ、家族の中で夫だけが浮いている。そして夫は浮いていることをあまり気にしていない。家族旅行なんていうのもほとんどしたことがありません」
この夏は、ルミさんの実家に子どもたちが1週間ほど泊まりに行った。ルミさんも仕事があるので、土日だけ合流したが、夫は夏休みについてもまったく言及してこない。
「ほぼ崩壊家庭だと思っています。経済的に先の見通しがたったところで、完全崩壊させるつもりですが、いつがベストなタイミングなのか……」
心は離れているが、家庭を続けていく。これはこれでメンタルが強い。
妻が全てを一言で終わらせる
いつのころからか、妻との間に隙間風が吹くようになったというユウイチさん(46歳)。結婚して16年、中学生になった双子の娘たちがいるが、彼女たちも父親に冷たい。「浮気も借金もしていない。僕は娘たちを本当にかわいがってきたし、これといった夫婦間のトラブルもなかった。本当にいつの間にか、分からないくらい少しずつ妻の態度が冷たくなっていった。5、6年前に夜、妻をセックスに誘ったら『めんどうくさい』と言われたんです。それが僕にはショックで、数日後からは物置になっていた部屋で寝るようになった。そこからどんどん心の距離が遠ざかったような気がします」
めんどうくさい。その一言を妻はどんな思いで言ったのか。それを確認する気にもなれないくらい衝撃だったと彼は言う。
「僕があまり話しかけなくなったので、娘たちはおかしいなと思ったようです。二人で茶化すように『なんかあったの?』と聞いてきたとき、妻はそれを無視して『ほら、早く宿題やっちゃいなさい』と部屋に追い立てた。本当におかしいよ、どうしたんだよと僕が言うと、妻は目も合わせずにキッチンに行ってしまった。そうなるともう話しかけるのも怖くて」
黙り込むしかない
妻は娘たちとは自然に話しているようだが、それ以来、ユウイチさんとは話そうとしない。食卓で娘たちが話しているとにこにこと聞いているが、ユウイチさんが口を挟むと妻はとたんに黙り込む。「妻と娘たちの仲を裂くようなことはできないので、代わりに僕が黙り込むようになりました。そのうち娘たちも僕とは話さなくなり、僕は夕飯時をはずして帰宅、テーブルに置いてあるおかずを自分で温めて食べるようになった。それが今はすっかり定着しています」
妻には何らかの言い分があるはずだ。聞きたいが、聞いても無視されるだろうと思うと怖くて聞けない。
「早く帰れる日でも、最近は帰らなくなりました。夕飯の支度も僕の分はしなくていいとLINEを送ったら、返信もないまま作らなくなったみたい。安い居酒屋へ行くか、パックごはんと近所のコンビニで総菜を買って食べるかのどちらかですね。今後、どうするつもりなのか一度話し合わなければいけないと分かってはいますが、なかなか切り出せずにいます」
心身ともにすり減っていると言ったユウイチさんは、疲れた表情でそう言った。