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【50周年記念】なぜ「マックスコーヒー」は千葉名物といわれるのか? パッケージと共に歴史をたどる

千葉名物といわれる『マックスコーヒー』は、1975年6月に発売開始されました。50周年記念に、発売の経緯を過去のパッケージと共に振り返ります。

久須美 雅士

執筆者:久須美 雅士

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誕生から50年! なぜ『マックスコーヒー』は千葉での知名度が高いのか?

初代マックスコーヒーと現在のジョージア・マックスコーヒー

初代マックスコーヒーと現在のジョージア・マックスコーヒー

コカ・コーラ社の『ジョージア・マックスコーヒー』(登場時は『マックスコーヒー』)が、1975年6月の発売から今年で満50年となりました。

当時の『マックスコーヒー』は加糖練乳を使った激甘コーヒーで、千葉県・茨城県・栃木県という「利根コカ・コーラボトリング」の営業エリアでしか飲めない地域限定品でした。特に千葉県では、地元住民にもおなじみの缶コーヒーだったようです。現在では全国販売されているので、飲まれたことがある方も多いと思います。

ここでふとした疑問が。コカ・コーラ社には『ジョージア』という缶コーヒーブランドがあるのに、なぜ利根コカ・コーラボトリングは、マックスコーヒーを販売したのでしょうか。
<目次>

「缶コーヒーブーム」に乗り遅れそうになった日本のコカ・コーラボトラー

1970年代初めは缶コーヒーの勃興期で、1969年にはUCC上島珈琲、1972年のポッカレモン(現在のポッカサッポロ)が缶コーヒーを発売し、大ヒットとなりました。

缶コーヒーを製造販売するメーカーも多数登場しましたが、外資系メーカーは積極的に缶コーヒーを売ろうとはしませんでした。

缶コーヒーは、米国はもちろんヨーロッパにもない日本独特の飲料であったため、来日した海外食品産業人からは「これがコーヒーか」と非常に驚いたといわれ、もちろん日本コカ・コーラの首脳である米国人も発売開始には大きなためらいがあったと伝えられている。

日本食糧新聞社『現代食品産業事典』(1992年)より

また、品質管理の面からも缶コーヒー製造について、コカ・コーラ米国本社は懸念を持っていたようです。

当社が日本コカ・コーラ社に打診したところ、アメリカ本社の意向は「パッケージングの対象とするのは炭酸飲料か果汁飲料。コーヒーは人によって飲み方がそれぞれであり、品質保持のリスクも考慮すると、万一のことがあればコカ・コーラブランドのイメージにも影響を及ぼしかねない」というものであった。アメリカ国内に同種の製品がなかったこともあって、缶コーヒー飲料の発売には消極的だったのである。

『利根コカ・コーラボトリング株式会社40年史』より

国内のコカ・コーラボトラーにおいては、「北九州コカ・コーラボトリング」が『ジョージアコーヒー』を開発し、営業エリアである福岡県、佐賀県、長崎県の地域限定でマックスコーヒーと同じタイミングの1975年6月に発売しています。

つまり、この当時、『ジョージア』ブランドは全国統一ブランドではなかったわけです。

そして、利根コカ・コーラボトリングの子会社「利根ソフトドリンク」が、東京・麹町のコーヒーロースター(焙煎卸売業)である「鈴木コーヒー」が開発した高濃度コーヒーエキス、「コーヒーエキストラクト」を用いて『マックスコーヒー』を製造し、利根コカ・コーラボトリングの販売網で販売します。

なお、マックスコーヒーは、鈴木コーヒーのコーヒー豆ブランド名でもありました。

(株)鈴木コーヒーの創業者である鈴木孝雄は、コーヒー牛乳の味を缶コーヒーとして生産できないかを考えていました。​そんな中、昭和50年頃【利根ソフトドリンク株式会社】から弊社のコーヒーエキスを使用した甘さマックスの缶コーヒーを作り出すことに成功しました。​デザインは鈴木社長のラッキーカラーである黄色をベースに房総の黒潮を思わせる黒の波模様を付けたものが採用され、MAX COFFEEの商標は弊社が権利を受け継ぐことになりました。

鈴木コーヒー公式Webサイトより(原文ママ)

マックスコーヒー誕生の経緯には、利根コカ・コーラボトリング側だけでなく、鈴木コーヒー側にも缶コーヒー製造の意向があったことが読み取れます。甘さについても、喫茶店のコーヒーのような味ではなく、UCCコーヒー同様にコーヒー牛乳の味からきていることが分かります。
新潟の茶舗、米本園が販売したマックスコーヒーのコーヒー豆の袋(1980年代前半?)

新潟の茶舗「米本園」が販売したマックスコーヒーのコーヒー豆の袋(1980年代前半?)

ところで、パッケージが鈴木コーヒー創業者の意向だったことを筆者は今回初めて知りました。マックスコーヒー缶の黄色は、千葉県を通るJR中央・総武緩行線の路線カラーからきていると勝手に思っていましたが、そうではなかったんですね。確かに写真のとおり、マックスコーヒー豆の袋のロゴも黄色がベースになっています。

ちなみに、缶コーヒーの独自ブランドを販売する動きは他ボトラーでもありました。神奈川県・山梨県・静岡県を販売エリアとしていた「富士コカ・コーラボトリング」は、輸入食品販売業の「明治屋」配下にあったことから、明治屋の缶コーヒー『マイコーヒー』を販売していました。

『ジョージア』ブランドへの編入 

初代ジョージア・マックスコーヒーとその当時のジョージア・コーヒーオリジナル(1991年)

初代ジョージア・マックスコーヒーとその当時のジョージア・コーヒーオリジナル(1991年)

このように利根コカ・コーラボトリングは、自社自販機でマックスコーヒーを販売していました。しかし実は、コカ・コーラ社とは「コカ・コーラ社が認定した商品しかコカ・コーラの自販機で売ってはならない」という契約がありました。

マックスコーヒー発売当時、コカ・コーラ社は黙認状態でしたが、1991年、この契約条件をクリアするためマックスコーヒーはジョージアブランドに編入されます。販売者も利根ソフトドリンクから利根コカ・コーラボトリングに移ることに。こうして『ジョージア・マックスコーヒー』が誕生しました。

筆者が初めてジョージア・マックスコーヒーを発見したのは、1991年夏、船橋そごうの地下食品売り場でした。おそらく発売直後だったのではないかと思います。

ソフトドリンクの缶を集め始めたばかりであり、マックスコーヒーという缶コーヒーの存在を知らなかったため、「このジョージアは何だ?」と衝撃を受けた記憶があります。

自社ブランドをコカ・コーラ社のブランドに編入する動きとしては、前述の明治屋マイコーヒーを『ジョージア・マイコーヒー』として、富士コカ・コーラボトリングが販売したという例もあります。

いよいよ『マックスコーヒー』全国展開へ

ジョージア・マックスコーヒー2代目(1993年)・3代目(1998年)・4代目(2000年)

ジョージア・マックスコーヒー2代目(1993年)・3代目(1998年)・4代目(2000年)

ジョージアブランドに組み込まれたマックスコーヒー。その後、筆者記事「マックスコーヒー三国峠を越える」にも書いたとおり、利根コカ・コーラボトリング以外のボトラーの営業エリアでの販売も始まります。映画やドラマなどで取り上げられたことから、全国的に知名度のある缶コーヒーとなりました。

また、2010年には韓国、2018年にはベトナムでもマックスコーヒーが発売され、海外でも知られるようになりました。
ジョージア・マックスコーヒー5代目(2005年)・6代目(2006年)・7代目(2009年)

ジョージア・マックスコーヒー5代目(2005年)・6代目(2006年)・7代目(2009年)

そしてジョージアのパッケージデザインが変更されると、マックスコーヒーのパッケージも合わせて変更され、現在に至ります。

『マックスコーヒー』は千葉県民の誇り

ジョージア・マックスコーヒー「600万人のちば」缶(2002年)、「がんばれ!マリーンズ」缶(2011年)

ジョージア・マックスコーヒー「600万人のちば」缶(2002年)、「がんばれ!マリーンズ」缶(2011年)

ジョージア・マックスコーヒーの記念缶には画像のとおり、千葉県に関連したものがあります。また県内の千葉県産ショップ「房の駅」では、マックスコーヒー味のお菓子が販売されています。

全国的な知名度は高くなりましたが、やはりマックスコーヒーは千葉の缶コーヒーなのだと思います。これからも千葉のアイコンとして、マックスコーヒーには存在し続けてほしいですね。

<参考>
「ジョージア」ブランドサイト(日本コカ・コーラ)
「ジョージア マックスコーヒー」商品名由来(日本コカ・コーラ)
コーヒータウン「珈琲人名鑑:株式会社鈴木コーヒー」
MAX COFFEE誕生秘話(鈴木コーヒー)
房の駅「コーヒーに人生をかけた男の情熱~MAX COFFEE誕生秘話~」

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