百貨店のお客様相談室で1300件以上ものクレーム対応を経験した関根眞一さんの著書『カスハラの正体 完全版 となりのクレーマー』では、巧妙化するカスタマーハラスメント(カスハラ)の様々な手口と具体的な対処法について解説していきます。
今回は本書から一部抜粋し、わずか2円の返金不足をめぐる執拗なクレームと、その対応から得られた貴重な教訓を紹介。実際にあった、驚くべきカスハラ事件です。
返金不足事件
2003年9月の夕刻、食品事務所から苦情発生の連絡が入りました。男性のお客様Lさんから、「返金不足だ」との電話苦情が入ったとのこと。現場に出向きました。確認すると、こういうことです。買い物をして、レジ精算をしたLさんは、そこで「白飯は不要」と言いました。白飯は212円です。
レジ係員は年配のパートの女性で、値札を210円と見まちがえて返金しました。Lさんは自宅に戻り、2円少ないことに気づいたのです。さっそく2円を持って係長が謝罪に行くことになったのですが、Lさんはこれまでももめ事を起こしており、大声を上げる恐喝癖があるとのことです。
レジ係員もLさんのことをよく知っていて、以前から「怖かった」と言っていました。やはり係長ではなく、課長が行ったほうがいい、ということになりました。改めて課長が行くよう指示を出しましたが、この日、課長は運良く(?)休みです。仕方なく、私の出番ということになりました。
実はあとで反省に変わるのですが、この「仕方なくの精神」がいけません。2円程度で、と思って行ったことが、お客様であるLさんへの誠意を欠いた態度になっていたのでしょう。
責任者としては失格です。
怒鳴り声にスタッフが逃げ出した
車で20分ほど走り、Lさん宅に到着しました。玄関で挨拶をします。会うのは初めてでした。身長160センチ、年齢55歳くらいの小柄な人でした。いつものようにお詫びをしましたが、Lさんは最初から絡んできます。「教育はどうなっている」「きちんと教育ができないのなら、俺がやってやる」「責任者はどう処分する」
と矢継ぎ早の文句に、私も悔しくなり、素直になれなかったのです。これが失敗でした。そうした私の気持ちが、顔にも表れたのでしょうか。Lさんは怒鳴り始めました。
「なんだ、謝る気持ちがあるのか!」
こんな怒声が続いて10分もすると、「今日はもういい、帰れ!」と、怒鳴りつけられます。私は、「お許しを頂戴するまでは、帰るわけにはまいりません」と動きません。
自分の言っていることに逆らっている、ととったのか、今度はLさんは、向こう三軒両隣まで聞こえるような怒鳴り声を張り上げました。
「帰れ!」
「いいえ!」
私も必死に応対します。「帰れ」「いいえ」の繰り返しです。挙句の果てに、「帰らなければ、不法侵入で警察を呼ぶぞ」と言われる始末。もちろんお詫びに行っているのですから、不法侵入などは成立しません。怒声を浴びながらの押し問答は15分続きました。
私は、「お許しをいただくまでは、何度でもまいります」と失言してしまいました。Lさんはそこを突いてきます。
「今、お前は『何度でも来る』と言ったじゃないか。だから今日は帰れ」
そう言われると、さすがに返す言葉もなくなりました。引き上げざるを得ません。出直しです。その日、車でLさん宅まで送ってくれたスタッフが、表に出てみるといません。車もありません。
どうしたのかな、と思って探すと、150メートルも向こうに駐車していました。玄関先に車を止めて待っていたのだが、あまりの怒鳴り声に驚き、車を移動させたそうです。
暖簾に腕押し
この訪問体験で、不思議な発見をしました。それはこの方の家族のことです。今回の謝罪の場面では、私が狭い半畳ほどの玄関に立ち、Lさんは玄関の上がり框(かまち)45センチのところに仁王立ち。薄茶色のガウンを肩にかけ、約15分、怒鳴りっぱなしでした。
実はその後ろで、勝手と居間を行き来する奥様らしき人と20歳代のお嬢様らしき人が、何事もないような顔をしているのが分かりました。怒鳴り続けるご主人には、まったく反応を示しません。
(耳が悪いのかな。黙っていたほうがいいと思っているのか)
やがて見抜くことができました。常にこんなことをしている家族なのだ、ということです。家族はご主人のLさんが怒鳴るのに、もう慣れてしまった様子でした。これでは簡単には解決しません。ある程度の時間が必要だと判断しました。そのことも、出直すことにした理由の一つです。
さて、再訪の日が来ました。今回は失敗が許されません。前回の反省から、対応の仕方をまったく違うものにしました。
お話をひたすら聞いて、こちらは、「おっしゃるとおりでございます」「ご指摘どおりでございます」「ご参考にさせていただきます」「貴重なご意見として、いただいてまいります」を繰り返したのです。
まるで馬の耳に念仏、暖簾に腕押し、というわけです。
2円にも命がある
これもちょうど15分くらい。さすがに、相手も言葉が尽きました。このタイミングで、ずっと相づちばかりだった私は、切り出しました。「ご返金でございます」と言って、2円を差し出したのです。Lさんが受け取ったときの言葉は、今でも鮮明に覚えています。
「たかが2円かもしれないが、これでも命がある。2円受け取りそこなっても、たいした被害ではないが、お前の店では1000円のものを998円しかないけど売ってくれ、と言ったら売るのか!」
この具体的な指摘はこたえました。実によい勉強をさせていただきました。最後にお詫びのお菓子を差し出しました。Lさんは当然のごとく受け取ります。
ただし、次のひと言にはやや腹が立ちました。
Lさんは手提げ袋の上から中を覗き、手土産の値踏みをして、「俺の授業料はこんなものでは済まないぞ」
腹立ちを飲み込んで、私は謝辞を述べ、Lさん宅をあとにしたのです。
ここでの教訓は、次のとおりです。
- 「たった2円」という気の緩みで、誠意を感じられない対応を見抜かれた
- 「普段から怒鳴る嫌な感じのお客様」というレジ係員の言うことが先入観になって、お客様像を勝手に作って訪問した
- 大声を上げられたとき、反発心から冷静さを失った。それが顔に出てしまった
- 「嫌な感じ」だと思っても、お客様の申し出をじっくり聞き、否定をせずに受け答えする
- 相手の態度で、自分のスタイルを変えない平常心を身につける
- 恐喝のために怒鳴っているのならば、「静かに話してください」と冷静に言う
百貨店に34年間在職し、全国4店舗のお客様相談室を担当。こじれた苦情・やくざ・クレーマー・詐欺師等特殊な客を専門に1300件以上の苦情に対応した。