穏やかな妻との幸せな結婚生活
ケイタさん(42歳)が2歳年下の彼女と結婚したのは8年前。6歳になる一人娘がいるが、誰に会っても「結婚っていいもんだよ」と言うほど幸せをかみしめる毎日だった。「妻と出会ったのは音楽教室なんですよ。個人レッスンでバイオリンを習っていたんですが、彼女は同じ時間帯にピアノを習っていたみたい。終わるのが同じ時間だったので帰りにたびたび顔を合わせるようになって。駅までの道を自然と一緒に帰るようになりました」
仕事帰りだったから、レッスンが終わるとおなかが空いている。食事でもしませんかと声をかけたのがきっかけで、2人だけで会うようになった。
「おっとりしていて明るくて。彼女のいいところは、まったく攻撃性がないこと。僕は気の強い女性にフラれてきたので、結婚は穏やかな人を望んでいたんです」
8年一緒に暮らしても、ケイタさんは妻が感情を爆発させたり、理不尽に怒ったりするところを見たことがなかった。
たまたま早く帰宅してみたら……
つい先日、休日出勤が続いたため午後から代休をとることにしたケイタさん。その日は妻もパートが休みのはず。早く帰ろうかとも思ったが、たまには1人でのんびり映画でも観ようと映画館に寄った。その後、妻と子どもの好きなケーキを買って、帰宅したのは15時半頃だった。「妻に連絡してもいいけど、もしどこかに出かけているなら早く帰ってこいと言わんばかりじゃないですか。妻には自分の時間を好きなように使ってほしいと思っているので、いなければ1人でのんびりたまったテレビ番組の録画でも見ようと連絡しなかったんです」
少し驚かそうかと、こっそりマンションの玄関の鍵を開けた。鍵は複数個ついているため、家族がそろうまではチェーンをかけずにいる。
玄関に入ると、リビングからバリバリとすごい音が聞こえてきた。
形相が別人だった……
こっそりリビングをのぞくと、妻がペットボトルを潰していた。なんだ、そういうことかと思ったのだが、妻の顔を見て彼はリビングに入るのをやめたという。「床にペットボトルを並べて、妻は次々と踏み潰しているんですが、その顔がね……。何ともすごい形相で。親の敵でもとるつもりか、というような怖い顔をしていた。その後、今度はダンボールや箱類を潰していったようですが、そのときは飛び上がって箱の上に着地(笑)。客観的に見ると、この人、よほどストレスためてるよねという感じでした」
近所でも「上品な奥さん」と言われている妻は、めったに大きな声をあげることもなく、娘に対しても危険なとき以外は叱ったことさえないのに。普段の妻とあまりにかけ離れた表情と態度に、ケイタさんはそのまま入っていくのがためらわれた。
「一度玄関を出て鍵を閉め、チャイムを鳴らしました。すると妻が『あら、どうしたの。すぐ開けるからね』と開けてくれた。リビングに入っていくとペットボトルは袋に入れられていましたが、箱類が散乱している状態。『あは、ごめんね。今、ダンボールを潰してたのよ。けっこう力がいるの』って。オレがやるよと潰しましたが、妻はさっきとはまったく違う穏やかな顔だった」
誰もいない家だし、力がいるからああいう表情になったんだろうと理屈では納得したのだが、どうしてもあの形相が忘れられずにいる。
妻を信じるしかないと思いながらも
「妻の心の中に、実は何か乱暴なものが住んでいるのではないかと気になってしまって。娘と2人で遊びに出かけたとき、ママに急に怒られたりしないかと婉曲に尋ねてみました。でも娘は首を横に振っていたのでホッとした。気分が急変して娘に八つ当たりするようなことがあったらどうしようと思っていましたが……」かつて妻の昔の友人に会ったとき、「けっこうやんちゃしてたよね」と1人が口を滑らせたように言ったことがある。「若いときはみんなそうだよね」と誰かが言ってその話は流れていったのだが、リビングでの一件があってから、そんなことまで思い出して、ケイタさんは心落ち着かないこともある。
「妻を信じよう、信じるしかないと思いながらも、なんだか時々不穏な気分になるんです。それほどあのときの妻の様子が僕には衝撃だったんです」
何が本性なのかは分からない。100%の善人も、100%の悪人もいないのかもしれない。