永田町文学とは何か?
霞ヶ関文学に似たものとして「永田町文学」もあります。これは国会議員が用いる言葉遣いで、彼らがいる場所の名前を取ってそう呼ばれます。例えば、
どれも聞き覚えがあるでしょうが、中でも多用されるのが「一般論として」です。「前向きに善処します」
「記憶にございません」
「個別の問題には回答を差し控えます」
これは全く一般論を言っているわけではなく、こう前置きすることで、特定の誰かを批判したことにならないよう逃げ道を作るのが目的です。
以前、官房長官(当時)の福田康夫氏が総理の行動について記者会見で追及された際、「一般論として」と前置きして答弁したところ、記者から「一般論ではなく、今回の件について答えてください」と言われ、こう切り返しました。
「一般論と言って分からなければ新聞記者を止めるべきだ」
これは「一般論として」という永田町文学が、全く一般論を指しているわけではないことを明らかにした出来事でした。
永田町文学の使い方で政治家の資質が判断できる
永田町文学にはさまざまなものがありますが、実はその使い方で政治家の資質や力量が分かることがあります。例えば「緊張感を持って注視します」という言い方です。
これは為替レートの急激な変動などの際に財務大臣がたびたび口にする言葉ですが、そもそも国会議員は常に緊張していなければいけませんし、大臣ともなればなおさらで、緊張感を持っていないほうがおかしいわけです。何のことはない、ごく当たり前のことを言っているだけです。
実はこの言葉は元々官僚文学として生まれたものです。
財務大臣の中にはこの表現を多用する人が見られますが、そのような大臣は財務官僚の影響を強く受けていると見ることができます。
その代表例とも言えるのが民主党政権時に財務大臣だった野田佳彦氏です。東日本大震災後に起きた急激な円高に対し、会見のたびに「緊張感を持って注視します」という官僚文学の言葉を金太郎飴のようにひたすら繰り返していました。
その後総理になった野田氏は、消費税を5%から10%に引き上げる政策を世論を無視して強行しました。ご存じの通り、それは財務省の悲願でした。官僚文学を繰り返していた野田氏が、まるっきり官僚に取り込まれていたことの何よりの証拠となったわけです。
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