学校行事の精選が進んだコロナ禍だが、元に戻そうとする動きも
学校行事の大半が中止または縮小されたコロナ禍では、以前は終日開催されていた運動会などの体育行事も、半日開催や学年・クラスごとの体育参観形式にした学校が多く見られました。 現在、学校現場では「教員の働き方改革」が進められ、業務削減が図られていますが、コロナが5類に移行したあと、以前の状態に戻っていることもあるようです。文部科学省の「令和5年度 教育委員会における学校の働き方改革のための取組状況調査」によると、学校行事は全国的に精選・重点化が進められており、都道府県・政令市のすべての教育委員会で「既に実施したまたは実施中」あるいは「実施に向けて検討中」となっています。しかし、市区町村レベルでは、約1割の教育委員会が「特に取り組んでいない、または取り組む予定はない」と回答しています。
この約1割について、どのような状況が起こっているのでしょうか? じつは学校現場では「教員の敵は教員」という問題が存在しています。前年の踏襲や旧式の教育方法がよいと考える教員たちは、「学校とはこうあるべきだ」という強い信念をもっています。
その一例が、運動会や体育祭に対する考え方です。筆者は元体育主任として、まさにそのような教員の一人でしたが、今ではその考えが間違っていたと感じています。そこで、運動会や体育祭で廃止すべきことについて3つのポイントを述べます。
1. 入退場の行進や練習ありきの競技
まず廃止すべきは、入退場の練習です。先生が「ぜんたーい、止まれ!」と号令をかけ、子どもたちが「1・2・3・4・5!」と声をそろえて止まる。こうした競技の入退場の練習は、今でも行われている学校があるようです。筆者自身も体育主任時代、「肘を伸ばせ!」「そろっていない!」「膝を上げて!」「やり直し!」と、朝礼台から叫んでいたものです。しかし、これはまさに一律的な行動をとることが良く、そうでない行動は集団を乱すため悪いという軍隊式の教育でした。
大人になってから、行進をそろえる必要がある場面はどれほどあるでしょうか。このようなことこそが問題のある教育だと感じます。競技の場所に集まり、終了後は解散して元に戻る、それだけで十分ではないでしょうか。
また、競技の練習も廃止すべきだと考えます。運動会や体育祭では、組体操やダンスなど、競技自体の練習が必要なものが多数あります。学年でこの練習時間を確保するために、他のクラスと調整した特別時間割を体育主任が作ることもありましたが、これが非常に手間でした。
はたして、競技の練習は本当に必要でしょうか? そもそも、練習が必要な競技を運動会や体育祭でやるべきなのでしょうか? 例えば、組体操では、当日の成果を上げるために過酷な練習を行い、生徒がケガをすることもあります。いっぽうで玉入れや徒競走などは、競技の練習をしなくても成り立ちます。
運動会や体育祭の目的を再考し、先生や子どもたちの負担を考慮したうえで、当日だけで成り立つ競技やゲーム性を楽しむ方法に変えてみてはどうでしょう。また、子どもたちが自分のやりたい競技を選ぶなど、主体性を育む方法も考えられるのではないでしょうか。
2. 不必要な順位づけ
運動会や体育祭では各競技で順位がつけられ、クラスや学年ごとの勝敗が明確にされます。これには賛否ありますが、大人になっても競争や結果を受け入れる場面が多いため、すべてを排除する必要はないと感じます。ただし、すべての要素に順位をつける必要もないでしょう。不必要なものの典型が応援合戦の順位づけです。
応援合戦は本来、「頑張れ!」という気持ちを表現するためのものですが、順位がつけられることにより競技のような位置づけになってしまいます。これにより応援される人を思いやるよりも、順位を取ることが目的になってしまうのです。
みんなで力を合わせて一生懸命やっても、順位が低ければ後味が悪くなってしまうでしょう。運動会や体育祭での順位づけには賛否ありますが、応援合戦を競争する必要はないため、まずなくすべきでしょう。
3. 運動会・体育祭の準備や運営の学校負担
文部科学省は、学校行事の業務を「教員の仕事だが負担軽減が可能な業務」と位置づけていますが、現状では、運動会や体育祭の準備や当日の運営のほとんどが教員によって行われています。PTAの方々が前日・当日の準備を手伝う程度ではないでしょうか。前述の文部科学省の調査によると、「学校行事等の準備・運営について、地域の人材の協力を得たり、外部委託を図ったりするなど、負担軽減を図るよう学校に促している」と回答した教育委員会は、総計で53.2%に留まっています。「負担軽減を促している」と回答した教育委員会の数値よりも、実際に「実施している」のはさらに少ないことでしょう。
運動会や体育祭の準備では、テントの設営や運動場への白線引き、旗立てなどさまざまな業務が発生します。こうした仕事を業務委託として地域のシルバー人材などを活用することで、地域経済活性化を図る視点をもつべきです。
元体育主任としての経験上、運動会や体育祭は教員にとってかなり負担の大きい仕事でした。運動会や体育祭をやるのなら、廃止すべきものを廃止し簡素化することで、子どもたちにとっての学びがあり、先生にとって負荷の少ないものを実施してほしいと思います。
ティーチングからコーチングへ
従来の運動会や体育祭は、教える側を主体とした指示・命令型の“ティーチング”にもとづく管理教育の象徴そのものです。このティーチングの対極にあるのが、支持・支援型で気づきを与えていく「コーチング」です。教員を辞めて、現在は「学校教育にコーチングとやさしさを」を掲げて、学校改革を外側から応援する筆者としては、子どもの主体性を生かし、関わる人々にとってやさしい運動会や体育祭を実現してほしいと考えています。