このような状況に潜む教育現場の問題点について、元小中学校の学校教員の経験を踏まえ述べていく。
1. “なんでも屋さん”の先生、多忙すぎる労働環境
まず1つ目の問題点は、多忙すぎる先生たちの労働環境だ。今の先生の業務は“なんでも屋さん”と化している。学校現場では、担任がほぼ1人で30人以上の児童生徒がいるクラスを運営している状態だ。教室にいる間は授業をし、いつ起きるかわからない児童生徒のトラブルや保護者からの相談に応えることのほか、不登校の対応などもほぼすべてが担任の業務となっている。
授業時間は短縮できないため、このような授業以外の対応は残業という形で担任業務の上乗せになる。
筆者も教員時代、月残業が200時間を超える経験をしてきたが、担任を持つと1人でそのクラスに関連するほとんどの業務を対応する必要があるためとても忙しく、朝学校に出勤したらいつの間にか夕方になっている状態だった。担任を持たない中学の学年主任になっても、数多くの学年行事の準備や運営などに時間が割かれるものだ。
今の学校現場はこのようにすべての先生が忙しいため、民間企業のように自分の業務を誰かに振るということがなかなかできない職場なのだ。
2. 不登校児童生徒を支援する体制の「仕組み化不足」
先生たちの業務が“なんでも屋さん”のような状況に陥ってしまっている要因が、2つ目の「仕組化不足」の問題点である。一般的に学校では、不登校児童生徒を対応する専門的な体制が十分に整っていない。不登校の要因はさまざまなため、本来ならば個々に合わせた対応が必要となる。担任は不登校児童生徒の相談にのったり、家庭への連絡対応をしたりしているが十分に手が回っていない状況だ。
先生がこのように担任業務と不登校児童生徒の対応を兼務しているような状況から脱するために、筆者は不登校専門の人員を用意し、不登校予備軍の心のケアから不登校児童生徒の対応までを全般的に仕組み化すべきだと考える。専門の人員が一人ひとりにあったサポートを行い、学校という枠にとらわれず個々に成長していくサポートを行う。そうすることで児童生徒にとっても、先生にとってもよい環境になっていくはずだ。
担任は、教育を行うのが本来の業務ではないだろうか。しかし不登校児童生徒が増え続けるにつれて、担任の業務が雪だるま式に増えていく現状は、本来の業務時間を削って対応をしていることになる。
担任が授業準備を行う時間が減ると、学校の授業がおもしろくなくなり、さらに不登校児童が増える。今このような悪循環に陥ってしまっているのだ。
3. 偏差値教育をベースとした学校のカリキュラム
そして3つ目の問題点は「根強く残る学歴主義」である。学校の授業は、偏差値教育をベースとしたカリキュラムになっている。受験科目に必須の「5教科」には含まれない、体育や音楽、家庭科は「副教科」と位置づけていることにもそれが表れている。国語や算数などの5教科ができない=勉強ができないと見なされるうえ、これらが苦手な児童生徒にとっては、授業というコンテンツがおもしろくないものに感じてしまうのだ。
いっぽうで大学受験における総合型選抜や、学歴を問わずに採用活動を行う有名企業が増えてきている。学歴や偏差値ではなく、求められる人物であるかどうかが重要な世の中になりつつあるのだ。
また両親が高学歴で一流企業で働いていても、仕事が楽しそうでなかったり、いつも疲れて家でイライラしたりしているということも多いだろう。そんな親から「いい大学に入らないと、いい会社に就職できないから勉強しなさい!」と言われたところで、子どもには響かないのではないか。
もちろん、学校に行く意味を見出せている児童生徒もいる。学校の授業がおもしろい、友だちといるのが楽しい、イヤなこともあるけどなにかしら意義を見出して学校生活を送れている、そういう児童生徒のほうが今も多いだろう。
しかし現状の教育カリキュラムは、学校に行くことが当たり前だったときに作られたものである。今は、SNSなどでさまざまな情報が入手できるようになり、学校の授業よりおもしろいと思えるコンテンツも多い。そんななか偏差値教育がベースのカリキュラムに沿って勉強をするために、学校に行くことの意味が見出せなくなってきている児童生徒は増えているのではないだろうか。
不登校児童生徒の数がこれだけ増えている状況においては、学校に行かないと教育を受けられないという世の中から、学校に行かなくても学べる社会づくりを目指して、大人たちが何とかしなければいけないと思う。
そのためにもまずは、先生にとってやさしい職場になり、生徒にとっておもしろい学校づくりが必要ではないだろうか。
<参考>
*令和4年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要(文部科学省・令和5年10月)