貧乏に近づいていく行動とは?
貧困を引き寄せる「収入に見合わない生活」とは?
スタンリー博士は著書「となりの億万長者」で、「将来、資産家になりたいと思うなら、住宅ローンは年間の現金所得の2倍以内に抑えること。それ以上の高い家は絶対に買ってはダメ」「高級車や高価な服などの贅沢品に使う時間と、資産運用計画に使う時間は反比例する」と一蹴します。博士は「贅沢にお金をかけるほど、お金持ちが遠のく」と示唆しています。筆者は「2年分の収入で買える家なんかないよ!」と文句を言いたくなりましたが(笑)。
生産性を伴わず、継続的にコストがかかる「見え」に過度にお金を使うと、貧乏が近づきます。
たとえば衣料品。収入アップや人間関係のために「身だしなみに気を使う」ことと、ただ見えを張るために「ブランドものの服を着る」ことは違います。いちど見えを張ると、見えを張り続けるために莫大な維持費がかかることになります。
ほかにも家選び。イギリスでは「芝庭のある家」は、ステータスシンボル(社会的地位を象徴するもの)の1つと言われています。そもそも「芝庭」は「維持するのが大変な土地を持つこと=裕福さの象徴」ということで、収入につながる資産というより、支出につながる負債の側面が強いです。
筆者の妻は「芝庭のある家に住む」のが夢だそうです。この点、筆者はまったく逆の見解で、なんどか口論になりました。というのも、筆者の実家に芝庭があったのですが、その庭で遊んだのは小学生まででした。
中学生以上となると、かえって雑草抜きやら芝刈りやらで維持に駆り出されたり、イモムシが大量発生して苦い思いをしたり、苦い経験も多かったです。思い出を作りたいか、ガーデニングが好きならよいでしょうが、そうでないなら庭を持つのは微妙な気がします。筆者が庭付きの家に住んだら、あっという間に雑草で埋め尽くされてしまうでしょう。何より、家を買った両親が「庭はいらなかった」とボヤいていました(苦笑)。
ひろすぎる家に住むのも考えものです。筆者はひろい家で育ちました。ゆったりした空間で過ごす良さは分かっているつもりですし、狭い家に住むと「窮屈だ」と感じます。
しかし、ひろい家にはひろい家のデメリットがあります。まず、維持が大変です。部屋が倍になれば掃除する場所も倍になります。また、子供が自立していなくなったりすると空き部屋が増えます。結局、リビング・ダイニングと各々の個室、そして寝室くらいしか使わず、それ以外の空き部屋の行く末は「物置」でした。
家を買うときには、「一生に一度の買い物だからこそ、足りないものがある嫌だ(満足したい)」という心理が働くと思います。せっかく高いお金を払ったのに、すこしのケチで「QOL(生活の質)」が下がってしまうのが怖いのです。
とはいえ、それと同じくらい「買いすぎる」のも怖いです。案外、僕らは不便なものには慣れるもので、贅沢なものには飽きてきます。「ちょっと物足りないけど、工夫すればイケそう」というくらいの家に、安いコストで住むのが、個人的にはベターな気がしています。
あとは高級車。高級な車ほど維持にお金がかかります。筆者の父はメカニックなのですが、車を買うときは必ず国産車です。外国車を買うと、部品を取り替えるなど修理するのに維持費がかさむからだそうです。
引き返せるうちにじっくり検討しよう
必要以上に大きな家や高級な車を買うと、そこから先、長い間のローンの支払いや、多額の維持費を払うことになります。それだけでなく、維持に時間も取られます。また、家や自動車の買い物は、いちど買うと引き返せません。引き返せなくなってしまう前に、本当にその支出が身の丈に合っているのか?幸せな暮らしに必要な支出か?借金してまで買う意味があるか?と検討するべきでしょう。
参考
トマス・スタンリー著「となりの億万長者」