長文の手紙に書き綴られていた気持ち
記念日を大切にする、礼儀正しい。「息子の妻」の人柄はとてもいいのだが……
「行動を阻止するつもりはないこと、とにかくふたりの健康が心配なことなどがつらつらと便せん10枚くらいに書かれていた。これってハガキですむよねと夫と笑ったんですが、これは彼女の情が深いのか、あるいは粘着質なのかと夫と話しました。子どもだって別人格というのが、私たち夫婦の子育ての共通認識だったから、息子の妻とももっとさらりと付き合いたい。それだけなんですよ」
お互いの時間の都合がついて、なんとなくタイミングが合ったときに会えればそれでいい。わざわざ記念日に集まる必要もない。いくつになってもよほど困ったことがあれば相談に来ればいい。親が子を頼ることはないと思え。そう言いながらふたりは子どもたちを育てたのだ。彼らは彼らの人生を歩んでくれればいい。
「私たちのどちらかが病気になったりしたときは、必然的に助けを求めるかもしれません。でもなるべくそういうことがないよう、仕事を引退したら暮らし方を考えようと話し合っているんです。財産もないから何も残せない代わりに、面倒をかけるようなことはしない、つもり。それでいいんじゃないですか」
2日に1度は届く、LINEの内容
今でも安否確認のつもりなのだろう。2日に1度は息子の妻からLINEがくるが、サキコさんはスタンプを返して終えている。それを彼女が寂しがっていると息子から聞いてはいるが、「どうせなら友だちとLINEで盛り上がったほうが楽しいわ」とサキコさんは考えているそうだ。「優しいのはわかるけど、優しくすればすべての人が喜ぶわけではないんですよね。それを言葉は悪いけどうっとうしいと考える、私たち夫婦のようなひねくれ者もいるわけ。そこをわかってほしいんですけど……。私たちがわがままなのかしら」
うーん、とサキコさんは考え込んだ。優しさを投げた側は、それを必ず理想通りに受け止めてほしいと過大な期待をしてはいけないのかもしれない。受け取る側にも事情がある。優しさが最高の愛情とは限らないのだ。