決めつけの言葉に震えた日々
「私が何かやろうとすると、母はネガティブな言葉をかけ続けるんです。母としては悪気はない。転ばぬ先の杖みたいな感覚なんでしょう。でも私は、母によってさまざまなチャンスを失ってきた。そう思ったのは大人になってからです。渦中にいるときは、母の『呪いの言葉』を信じていたから」そう言うのはリカコさん(43歳)だ。ひとりっ子、両親は不仲。そんな状態で育ったリカコさんは、「母の所有物」だったという。
「小学生のとき、友だちの間でアイススケートが流行ったことがあったんです。私もスケートを習いたかったから、母に言ったら『スケートはダメ。転んで頭を打ったら死んじゃうのよ』って。言い方がすごいでしょう? スケート教室なんだから転ばないようにちゃんと教えてくれますよ。今ならそう思うけど、当時の私には、死んじゃうんだということだけが伝わってきて怖くてたまらなかった。一事が万事、そうだったんですよ」
原宿はダメ! なぜなら「補導される」から
中学生のとき、友だちと原宿に遊びに行こうという話になった。クレープを食べて街を歩くだけだ。だが母は大反対。「補導される」と彼女を脅した。昼間の原宿でいきなり補導されるはずもないのだが。「高校生になると、こちらもちょっと知恵がつく。着替えを持っていって制服から着替えて遊びに行っていました。でもあるとき、私たちがいつも着替えている駅に母親が立っていたんです。びっくりした。私の日記を盗み見たんですね。『あんたをそんな不良に育てた覚えはない』と友だちの前で号泣したので、みんなドン引きでした」
大学は女子大へ行けという母の思いを裏切って、共学しか受験しなかった。母は、「あんたは女として絶対に不幸になる」と言い放った。
「そんなふうに娘を陥れて、おかあさんは楽しいの? 母親なら娘が自由に自分の意志で生きていることを応援するべきなんじゃないの? とあるとき冷たい口調で聞いてみたんです。母はなにも言いませんでした」
就職するとすぐ、リカコさんは家を出てひとり暮らしを始めた。母には住所も知らせなかった。父にはこっそり伝えておいた。
>あろうことか、孫娘にまで