人間関係

「誰にも言うな、みっともないから」と口止めされて…ヤングケアラーだった子ども時代の記憶(2ページ目)

親の不在により、家事や幼い弟や妹の世話や家庭の仕事を一手に担う子どもたち。「家族だから仕方がない」とあきらめていたけれど、当時も理不尽だと思っていた……。ふたりの女性が、ヤングケアラーだったころの体験を語ってくれた。

亀山 早苗

執筆者:亀山 早苗

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母が病んでヤングケアラーに

母が精神的に病み、妹のめんどうをみていたというのはリナさん(34歳)だ。父は会社員だったので朝から夜までいなかった。

「私が小学校に上がったころには、母は自室にこもっていて、父がテーブルに500円を置いて出社する。そんな生活でした。食べ物は父が買ってきて冷蔵庫や冷凍庫に入れておいてくれました。小学校低学年のころから電子レンジを使いこなしていましたね、私」

母はときおり自室から出てきて、何か食べていたようだ。父が母を病院に連れて行っていたかどうかは記憶がないとリナさんは言う。

「私は4歳年下の妹のめんどうを見るのに必死でした。学校から帰るとたいてい妹はひとりでリビングで遊んでいた。おむつを代えたような記憶もあるので、もしかしたら私は入学以前から妹のめんどうを見ていたのかもしれません。あるいは3歳でも妹はおむつをしていたのかも」

父は妹を幼稚園に入れたが、迎えに行けないので自然と幼稚園には行かなくなった。5歳の妹がリナさんの学校に来てしまったことがあって、リナさんは早退して妹を連れ帰った。

「父が母のことをひた隠しにしているのはわかっていたから、口止めされていなくても母のことは誰にも言えなかった。ただ、母はときどき自室から出てきてやけにはしゃいでいることもありました。記憶したくなかったのか、あの頃の母のことはあまり覚えていないんですが」

日常的な家事はリナさんがほとんど担っていた。父が夜中にアイロンをかけているのを見たことはある。父は優しかったが、「今思えば頼りなかった」と彼女は言う。

小学4年生のとき、母の姿が突然消えた

リナさんが小学校4年生のときに母の姿が消えた。おかあさんは病気で入院したと父は説明した。見舞いに行きたいとは言えなかった。言える雰囲気ではなかったらしい。

「のちに父から聞いたんですが、母は精神病院に入院したそうです。数カ月後、退院するというその日に、母は病棟の屋上から飛び降りてしまった。でも母が亡くなったことも当時は知らされませんでした」

彼女は妹と一緒に朝食をとって、一緒に学校に行った。いつも妹と一緒だった。中学に入ったとき、父から母が病気で亡くなったと聞いた。病院は遠いところだから行かれないけどと父が言ったとき、直感で嘘をついていると思ったという。

「すべて聞かされたのは私が高校に入ったときでした。母がいてもいなくても私が妹のめんどうを見ていることには変わりなかったので、もっと早く知らせてほしかったですね」

その後、いろいろあって家族はバラバラになり、彼女は今、妹とも連絡をとっていない。ただ、あのころ毎日めんどうを見た妹のことは今も心配している。

「何の見返りもなく、自分のことすらできないのに、家族だからって私が犠牲になったのは理不尽ですよね。でもあの当時はそうするしかなかったわけだし、早く忘れてしまいたいとずっと思ってた。ただ、最近は、父もつらかっただろうし、妹も寂しかったんだろうとは思う」

周りの友だちのように、学校帰りにみんなと話したり遊んだりしたかった。しかたがないとはいえ、やはり子ども時代をやり直したいという思いは強い。リナさんは「子どもがいれば、自分自身もやり直したような気持ちになれるのかなと思うことはありますが、そこはまた複雑で……。自分が子どもをもつことは考えられないんです」と苦しそうに言った。

※参考:青森県「ヤングケアラー実態調査」(調査期間:2022年12月16日~2023年1月16日)
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