5月末に青森県が実施した県内初の「ヤングケアラー実態調査」結果を見ると、回答した約2万人の小中高校、大学生のうち、ヤングケアラーとされる人は、4.8%にのぼった。そのうち、ほぼ単独で家族をケアしている人は5.9%、本人が中心となってケアしている人は24.7%もいたという。
当然、みな負担を感じており、「ストレスを感じる」「成績が落ちた」「自分の時間がとれない」「勉強をする時間がない」「睡眠が十分に取れない」など悲痛な声が多い。そしてヤングケアラーの8割が、誰にも相談したことがないと回答した。
周囲が気づくことはできるのか、学校や近所は何ができるのか。「家庭内のことは外には言わない」という時代ではない。支援が必要なところにどうやって情報を届けるのか。他の家庭内問題同様、そこが重要な課題となっている。
学校では「居眠りをするやる気がない生徒」と認識されるケースも
「みっともないから言うな」と言われて
「うちは父が早くに亡くなって、母は働きながら私と2歳違いの弟を育ててくれました。ところが家には父方の祖父がいたんです。この祖父が酒浸りの人で、酔うと暴力をふるう。祖母が生きているころはうまくなだめてくれたんですが、私が小学校4年生のときに祖母が急死して……。それ以来、私が母と弟を祖父の手から守らなければいけないと思うようになりました。母は昼も夜も働いていたから帰ってくるのは深夜。それでも夜中に祖父が暴れ出すことがあって、母は苦労したと思います」サチコさん(36歳)はそう言う。彼女自身も祖父から何度も殴られた。だが泣いたり騒いだりするともっと祖父が騒ぐので、黙って別室に逃げるしかなかった。
「学校から帰ると洗濯をして、弟と母のために食事を作って、飲んでくだを巻いている祖父をなだめたりすかしたりしながら、なんとか暴れないように気を配る。宿題なんてやっている暇はなかった。弟の勉強は見てました。今思うと自分がかわいそうで泣けますね」
彼女はそう言って涙ぐんだ。祖父がアルコール依存症であることは、母もわかっていたはずだが、向き合う時間がなかったのだろう。だからといって祖父の世話を自分がしなければいけないのかと疑問を覚えたこともあった。
「中学生になると母に対しても反抗心が芽生えてきた。だけど文句を言おうとすると、母がやつれた顔で帰ってくる。だからなにも言えなくなる。私しかいないんだからしかたがないと諦めるしかないんです。その後、弟が私に対して反抗してくるようになった。あの時期がいちばんつらかった」
母からは祖父のことは誰にも言わないようにと口止めされていた。「みっともないから」というのが理由だった。納得はできなかったが、だからといってどうすればいいのかわからなかった。
「学校では私は、よく居眠りをする“やる気のない子”で通っていたと思う。家族のことも話さないから友だちもあまりいなかったし」
あるとき帰宅したら祖父がひっくり返っていた。救急車を呼び、病院に運んでから事態が変わった。
「医師や看護師さんが親身になって話を聞いてくれたんです。私は毎日のように祖父の見舞いにも行っていたので、家族関係についても聞いてもらって、行政につなげてもらえました。まあ、祖父は退院直前に急変して亡くなってしまったので、結局、行政との関係も立ち消えになってしまった。母がやりとりしていたから、どうなったのか私は知らないんですが」
祖父が亡くなっても、彼女が家事から解放されることはなかった。祖父がいなくなった分、ストレスは減ったが、弟が悪い仲間とつるむようになって心配は尽きない。彼女はそれを母にも伝えなかった。弟の仲間たちに会って誘わないよう懇願したこともあるが、力不足だった。
「受験勉強もろくにできなかった。定時制の高校に入って昼間は働くようになりました。それでようやく母が昼間の仕事だけにしてくれた。でも結局、長年ありがとうの一言も母からは言われなかったので、私は誰にも救われなかったという思いが今もあります」
母も長年の苦労で疲れているんだと彼女は自分に言い聞かせたという。どこまでも母と弟を思っていた。そうやって自分をすり減らしても、母も弟も感謝してくれたわけでもないのにと、彼女は自嘲的に言う。
「あの頃の私に言ってやりたい。誰かに頼ればいいんだよって。近所のおばちゃんでも学校の先生でも。でも実際には自分が声を上げることなんて、考えてもいなかったからむずかしいですよね。誰かが声をかけてくれれば話は違うけど」
その後も苦労したが、今は自身も結婚して落ち着いた生活を送っているという。
>できれば子ども時代をやり直したい