看護要員でも「こどおば」と言われてしまう
ひとり暮らしで、ひとりでどこへでも行く女性は「おひとりさま」として、ある意味、クールでかっこいいイメージをもたれている。だが実家にいるというだけで、「こどおば」と称されてしまうのは釈然としない。「私は今、調子の悪い両親を看護しています。ちょうど会社が倒産した時期に父が事故にあい、母が体調を崩したので、ふたりを放ってはおけなかった。仕事を探したいし、たまには外に遊びにも行きたいけど、今はそれができる状況ではありません」
そう言うのはアヤカさん(35歳)だ。コロナ禍で会社が倒産したころ、父が交通事故にあった。そのショックで母が持病を悪化させたので、親子3人でいたわり合うように暮らしてきた。
「親戚からは、3人で家にこもって何をやってるんだと言われました。状況も知らずによく言えると憤ったものです。コロナ禍ということもあって、本当に自由がきかなかった。最近、ようやく父のケガもよくなってきてリハビリも進んでいます。母も落ち着いている。私も職探しに出かけられるようになりました」
学生時代の友だちにも数年ぶりに会ったが、その中のひとりが「働かないで生活できるなんて羨ましい。でも他人と話をしないでひとりぼっちでいると早くボケそう」と配慮のない発言をした。その言葉に、アヤカさんはいたくショックを受けたという。
「表面的なことしか見ずに、そういうことを言うのかと落ち込みました。むろん、他の友人はみんな同情してくれたし、職探しするならうちの会社、聞いてみようかと言ってくれる人もいたけど、“ぼっちのこどおば”だとどこか下に見ている人がいることも確かなんだろうなとよくわかりました」
どこでも口さがない人はいるものだが、それが自分を知っている友人となると悲しみも深くなる。冗談だとすませられる類いのものではない。
「人が他人の生き方を事情も知らずに揶揄するものではないと、本気で思います。でもそう思う人、言う人を止められないのも事実だから、誰が何を言っても強く生きなければいけないんでしょうけどね……」
家庭の事情、個人の事情。アヤカさんの言うように、その人の人生や事情は他人には計り知れないもの。そこへの想像力を失ったとき、人は人を簡単に傷つけてしまうのかもしれない。