若者と女性の政治家割合は国家存亡のバロメーター
少子化は、簡単に言えば子どもが生まれなくなることです。子どもが生まれなければ人口は減り、産業、文化など、あらゆるものが衰退します。つまり少子化とは国家の存亡を計るバロメーターといえます。そもそも少子化とは、単に子どもが生まれないという現象を指すだけではありません。この国で生まれた人が成長し、学び、社会に出て働き、結婚するという、人生そのものに困難が生じていることを意味しています。少子化の原因には、「生き方の多様化」や「困難」などがありますが、「困難」に焦点をあてると、若者や女性が困難に直面すればするほど少子化は進みます。
その「困難」について、最も身近で深く理解しているのは当事者である若者や女性です。当事者である若者や女性こそが、問題解決のために自ら取り組む権利があることは言うまでもありませんが、日本でその決定権を握っているのは、子育てや家事への理解に乏しい中高年の男性政治家となっています。
「無党派層」と「支持政党あり」で分断される投票行動
では国民の側が、こうした問題についてしっかりと考え、改善するための合理的な行動を取っているかといえば、理想とはほど遠いのが実情です。特に無党派層と支持政党を持つ人の間で分断が起きています。最近の選挙において、無所属であったり、実績がまだなかったりする若者や女性の候補が無党派層から支持を集めることについて、あたかも無党派層が何も考えずに投票しているかのような意見が散見されます。でも、筆者にはそれが正しい意見だとは思えません。無党派層は考えていないのではなく、考えているからこそ、中高年の男性政治家に見切りをつけ、別の人たちに託そうとしている、そのような考えの表れなのではないでしょうか。
たとえば現在の岸田政権でも、選挙前は「再分配」や「若者や子育てへの支援」を打ち出しながら、選挙が終わればそのような弱者へのサポートは「財源がない」として先送りにしています。このようなことを目の当たりにすると、これまでずっと政権を握ってきた中高年の男性政治家に今後も同じように期待を寄せていくよりも、「弱者のために働いてくれるポテンシャルを持った若者や女性の政治家」に期待したくもなるのではないでしょうか。
そんな無党派層の投票行動に対し、何も考えていないと批判するのは一定の支持政党を持つ人たちですが、支持政党を持っているからこそ、どんなに公約が破られても、どんなにスキャンダルを起こしても同じ党に投票、政策や人物ではなく支持政党だけで判断しているようにも見え、真に国のことを思っているのはどちらだろうかと考えてしまいます。
以上のような意味で、歴代の市長選から見ていくと、芦屋市は単に支持政党だからというだけでなく、政策や人物で判断する素地がある地域だといえるかもしれません。それは、日本を持続可能な社会にしていくための希望的地域であると見ることもできるでしょう。芦屋市の市長選が、日本全国の選挙に良い影響を波及してくれることに期待します。