「おかしい」と気づいてはいても
ミサキさんの母がそういう妻だったのだ。夫と義母に黙って尽くす。女はそういうものだとミサキさんは思い込んでいた。「あれ、何かが違うと思ったのは、子どもたちが学校に行き始めて、ほかのお母さんたちと話したり子どもからの情報を得たりしたところからです。『平日は夫の食事は作らない』という人もいたし、『夫が遅く帰ってきたら、自分で温め直してもらう』という人もいた。子どもは友だちの家に遊びに行って、『あの家のパパがご飯を作ってくれた』とうれしそうに言ったりする。私が子どものころは他人の家に行ったこともなかったし、キッチンに入る男性も少なかったけど、私の世代では当然だったんですよね。私が無知なだけでした」
それでも自分の“役割”を放棄するつもりはなかった。子どもたちが成長すると、昼食用のお弁当は3つに増えた。夫が深夜に帰宅して食事を作り直し、すべて片づけて寝るのが1時を回っても、彼女は4時半には起きて凝ったお弁当を作り続けた。
「お弁当とはいえおかずが少ないと夫がちょっとだけ不機嫌になるから。私は子どもがいてもいつも夫のほうを向いて主婦をしてきたような気がします」
夫の浮気を疑ったこともある。だが「信じない自分がいけない」と思い直した。娘が高校生のとき、「パパはそれほど潔白じゃないと思う」と言い出したが、そんな娘をミサキさんは叱った。
自分がこの家を、家族をまとめなければいけないという使命感で彼女は頑張ってきたのだ。だが娘は就職にともなって家を出て行った。職場が遠くて通えないという。息子は地方の大学を選んだ。
「ふたりとも3月半ばには越して行き、いきなりの夫婦ふたり暮らしになってしまいました。夫は淡々としていますが、私は食事の支度もする気がなくなってしまって。そんな私を見た夫が、『食事、作らなくてもいいよ』と言ったんです。せめて夫には頼りにされたかったのに……。私はなぜか取り乱してしまって、今まで必死で作ってきたのに、あなたのためにやってきたのにと叫びました。
夫は『いや、別にオレ、頼んでないよね』って。え、え、どういうこと?と私はますます錯乱状態。『いつも凝ったお弁当を作ったり、オレが帰ってからわざわざ食事を作ったりしているけど、別にいいよ、そんなことしなくても。そうしてくれって頼んでないよね』って。ショックでした」
20年以上、自分は頼まれもしないことを、夫のためにと頑張ってきたのかと彼女は絶望感に襲われたそうだ。
夫に悪気があったわけではなく、今までも頑張りすぎていた妻を気にはしていたらしい。だがそれが妻の生きがいであるなら、水を差すのも悪いと思っていた。ふたりきりになったのだから、もう頑張らなくていいという意味だったのだ。
「オレ、頼んでないよね」という言い方は確かに酷だ。ほかに言い方があったはず。とはいえ、ミサキさんもそこまで絶望しなくてもいいのではないだろうか。
「それでも私は納得できなかった。私の20数年は無駄だったということなんだから。私は生き方を否定されたようなものですよね……」
将来に夢を抱いてスタートを切った子どもたちに愚痴を言うわけにもいかない。春なのに、自分だけが変化も訪れず、スタートも切れない。彼女はじっとうつむいていた。スタート地点を決めるのは自分自身なのではないだろうか。