「愛を信じないのか」という父の言葉
ウタコさんは父親に話があると告げて、久々に実家に行った。すでに年下彼女が何度も来ているのだろう。家の中はきれいに片づき、テーブルには花まで飾ってあった。 「ノブちゃんはね……、と言うんですよ。彼女の名前が宣子なんですって。『ひとり暮らしが長いから、今のままでもいいけれど、ノブちゃんは心が優しいんだ。お父さんをひとりにしたくない、年齢なんて関係ないって言ってくれる』って。もうすっかり彼女に参っちゃってる。でもこちらもはっきり言わないわけにはいかない。『お父さんとお母さんが築いた財産を、そんなろくに知らない女性に遺すの? お母さんが浮かばれない』と。すると『10年以上、ひとりで暮らしたんだよ。おまえたちは何をしてくれた?』って。確かに父は元気だったから、兄も私も年に数回しか足を運ばなかった。父は厳しくて、私も兄も、子どものころは怒られてばかりいたから、どこか苦手意識があったんですよね。再婚すると言ったら、急に子どもたちが大反対と声をそろえてくるのはおかしいだろ、という父の気持ちはわからなくはない。だけどやはり母がいたからこそできた財産なのだから……」
父は子どもたちに反対されたことで、ますます燃え上がってしまうのではないかと、ウタコさんの夫は予想した。それでもウタコさんは、なんとか父の気持ちを覆そうとせっせと実家に通ったという。
「おまえはそれほど金がほしいのかと父が言い出したんです。開き直った私は、『お父さんに何かあったら、結局、面倒みるのは私たちよ。それでいてあとからその女性に財産を渡さなければいけないの。おかしいと思う。確かにうちだって子どもふたりいるし、お金はいくらあっても困らない。夫とふたりで頑張っても、子どもたちに満足な教育を受けさせてやれるかどうかわからない』と言っているうちに、なんだか悔しくなってきて涙が出てきました」
食べられないほどではないが、生活は楽ではない。子どもふたりが希望する道を進ませてやれるかが不安だった。
「何度目だったでしょうか、実家に行ったら、父が『もうあの話はやめてほしい。オレとノブちゃんの愛情を信じないなら、放っておいてくれ』と言い出したんです。私も『そのノブちゃんとやらのこれまでの経歴を知ってるの? お父さんの財産目当てに決まってるじゃない。そうじゃなかったら30歳も年上の高齢者と誰が結婚なんかするのよ』と言い返して険悪な雰囲気になりました」
するとそこに飛び出してきたのは、当の「ノブちゃん」だった。別の部屋でひっそりと息を潜めていたらしい。父に言われてそうしていたのだろう。
「彼女は私の前で、いきなり頭を下げて『許してください。私はお父さんを愛しています。でも財産なんていりません。だから婚姻届は出さなくてもいいんです。お父さんの面倒を見たいだけなんです、一緒にいたいだけなんです』と号泣した。父は『ノブちゃん、いいんだよ、婚姻届を出そう』と泣き出した。なんだか妙に芝居くさいわけですよ」
帰宅して夫に言うと、「もういいよ、好きにさせてやれよ」と夫は言い、兄は「絶対に結婚させちゃダメだ」と。ウタコさんは疲弊していった。
「その後、私が行くと言うと父は『来なくていい』と言うようになりました。それでも行ってみると、ノブちゃんがいた。一緒に住み始めたようでした。なんだか私、妙な焦燥感にかられて実家から母の位牌を持って帰りました。それが1年前のこと。父と彼女は、それでも別れなかった。それで私、兄と相談して、とうとうふたりでノブちゃんだけを呼び出して直談判したんです。すると彼女は『結婚はしません。一銭も要求しません。だから一緒にいさせてください』って。なんだか私たちが悪いことをしているような気になって来たんですよね」
それからさらに1年、父と彼女は今も一緒に生活している。父は身も心も若返ったようだが、ウタコさんには気づいたことがある。
「財産のことばかり気にしていたけど、父は彼女と暮らすようになってから旅行をすることが増えました。先日もふたりで沖縄へ行ったみたい。今まで父は町内会の旅行くらいしかしたことがなかったのに。母とだってどこへも行ってない。それもまたなんだかもやもやするんですよ」
兄からは「おまえが引っ越さないからいけない」と言われたウタコさん。父が生きる意欲を高めているなら、それでいいのかもしれないという気持ちと、やはり財産を減らされるのも困るという気持ちの間で揺れている。