育休中でも生活費は「半々」が平等?
「育休だと給料が激減するので、もう少し入れてほしいと言ったら、『え?だって生活費は半々って決めたじゃん』と。いや、だって私の収入が……と言うと『それはしょうがないよね』って。ちょっと待ってよ、私たちの子だよ、私ひとりで子どもを作ったわけじゃないよと言いましたが、夫には響かなかったみたい。もちろん子どもにかかる費用はオレだって出すよと。あまりにびっくりしたので、つい夫の両親に話したんです。義母は専業主婦だった人だから『どうしてそんな』とショックを受けたようでした。義父が夫を呼び出して話してくれたんですが、『よけいなことを告げ口するんだな』とすごまれた。だったら平等だなんて言うな、と夫は怒っていました」何もかも平等にはならない。出産は女性しかできないことが決定的な違いだ。平等というのは立場や可能性においてであって、夫の仕打ちは、平等に名を借りた男性優位の考え方に過ぎないのではないかとユイカさんはつぶやいた。
個人的な男女関係においては、“平等”より“対等”を打ち出したほうが腑に落ちやすいかもしれない。
「きみは育休中だし、オレがほとんど生活費を出しているんだから、家事はしなくていいよねというのが夫の言い分。あなたが外で働く、私が家事をする。そこまではいいよ、でも子育ては折半になっていないよねと言ったら、時間がないから仕方がないよと逃げられました」
言いようのない孤独感から、彼女は心を病んでいった。最終的には実家の親と義両親も納得の上、離婚が成立した。義両親は「こんな子だと思わなかった」と息子と絶縁を宣言。離婚後もユイカさんは義両親とはいい関係を保っている。
「彼は“平等”にとらわれすぎたのかもしれません。付き合っているときは、女性を差別しているようなタイプにも思えなかったけど、恋で私の目が曇っていた可能性もありますね。ただ、結婚したら急に『妻は夫の言うことを聞くものでしょ』と言い出したりしたので、やはり根っこにはミソジニーの感覚を持っていたんだと思う」
自覚はなくても、あからさまではなくても、どこかで「男は女より上」「妻は男を立てるべき」といった感覚を多くの人が刷り込まれているのかもしれない。
女性が、他の女性の自由な生き方を批判するのも、「女はそんなことをすべきではない」といった価値観があることが多い。多様性の時代といわれながら、多様性が認められていないのが現状ではないだろうか。
男女のみならず、人が反目しあっていいことは何もない。
ユイカさんは今、仕事を続けながら実家近くで娘とふたりで暮らしている。
「この子が生きる未来が、少しでも男女差がなくなる世の中であればいいなと思います。男女が性的にも個人的にも違いを認め合えたら、もう少し生きやすくなるのかもしれませんね」
閉塞的な今は誰もが生きづらい。個々の生きづらさをほんの少しでも思いやれればと心から思う。