本人がその道を歩むことを希望しているかどうかはわからない。子どもの意志が固まる前にすでに「いい子」のひな形に流し込もうとするものだ。親が意識的にそうしているのか無意識なのかは別の話だし、もちろん、親としては精一杯、頑張って子育てしているのも確か。
ただ、子どもであっても「私の言うことを聞け」というのは違うだろう。世間一般の常識を教えるのは躾だが、子どもの意志を無視するのはやはり「毒」なのだ。
母の夢を押しつけられて
「私の母は、タレントになるのが夢だった。だから私は小さなころから赤ちゃんモデルをさせられていたようです。その後は児童劇団に入った。でも私自身は、そういう活動がちっとも楽しくなかったんです」首都圏で生まれ育ったナオコさん(39歳)はそう言う。
小学校に入ると、東京の劇団での活動を嫌がるようになった。子どもにとって片道2時間の東京への“旅”はつらかった。友だちとも遊べない。母も父にたしなめられて劇団での活動は終息した。
「ところが今度は、母の次なる希望だったビジネスウーマンへの道が敷かれました。いい大学に入るためだからと英語塾と学習塾に通わされた。あなたならできる、あなたにはものすごい才能があるのと刷り込まれていました。中学受験ももちろんしましたよ。母の情熱は半端じゃなかった。期待に応えたい気持ちは私にもありましたから、頑張りました」
母は父を焚きつけて、都内近郊に引っ越し、彼女は無事に合格した。ところが頑張りすぎたのか、中学生のときに心の中で何かがキレた。
「当時は常に気持ちがモヤモヤしていて、私の中で何が起こっているのかわからなかった。まだうまく言語化できなかったんでしょうね。母に反抗したいけど、母は私のために頑張ってきたんだという思いもあったから、あからさまに反抗はできなかった。結局“やる気のない子”と学校にレッテルを貼られるくらい、いつもふてくされている子になっていきました」
母は次々と目標を押しつけてくる。やる気がないと言われながらも、中学生で英検2級をとった。エスカレーター式に高校には行けるのだが、家庭教師もつけられた。
「忘れもしない、中3のときです。私は自由が欲しいんだとやっと気づいた。家庭教師が来る日に友だちと遊びに行ったら、なんとも楽しくてたまらなかった。母には怒られたけど、『うるせーよ』と言ったら母が黙った。なんだ、たいしたことないじゃんと思いました」
高校時代は地元の不良とつるんだりして、だんだんと学校にも行かなくなった。そして中退。母は泣き叫んだあげく3日ほど寝たきりになってしまった。
>母に本当のことをぶちまけたらキーと叫んで……