人間関係

「毒されている」と感じたら、それは毒母。30代女性が里帰り出産を心の底から後悔した理由

【毒親の毒は消えない #6】うっかり「里帰り出産」をしたら、毒母の毒が炸裂。たとえ実母でも、毒親との付き合い方を決めるのは自分自身なのだ。

亀山 早苗

執筆者:亀山 早苗

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明らかな暴力やネグレクトといった刑法にあたる被害は別として、「毒母であることを決める」基準はない。娘が毒されていると感じれば、それは毒母なのだろう。そしてつきあい方を決めるのは娘しかいない。毒母を変えることはできない。

母と折り合いが悪かった

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母との折り合いが悪いのはわかっていた。だから高校卒業後、専門学校に入るときに家を出た。そこからはいっさい、親に頼らない人生を送ってきたとフユミさん(38歳)は言う。

「29歳で結婚したときも、親とは一度食事会をしただけ。結婚式も挙げなかったから、夫は私の両親と、私は夫の両親と1回しか会っていないんです。夫の実家は遠方だし、夫自身も4人きょうだいの末っ子で『実家にはあまりいい思い出がない』と。それでも数年に1回、夫だけ帰っています。主に友だちに会うのが目的みたいです」

フユミさんの実家は、自宅から1時間程度の距離。だが彼女は結婚後も親を頼らなかった。18歳まで両親と一緒だったが、夫同様、いい思い出はないそうだ。

「私は3人姉妹の真ん中なんです。長女は最初の子でかわいがられ、末っ子は年が離れているのでかわいがられた。でも姉と2歳違いの私は、むしろ比べられてばかり。家にいると、よく母に『あらあんた、いたの?』と言われました。今思えば、母はなにげなく言ったのかもしれないけど、私は『あんた、いたの? いなくてもいいのに』と受け止めていた。そんなふうに感じさせる言い方だったし……」

姉を見て育ったので、どういうことをしたら叱られるのかもわかっていた。要領がよかったから、親と親密になりそこねた側面もあるのかもしれないと彼女は言う。

「虐待されたわけでもないので、私の口から毒母とは言いづらい。だけど母は明らかに私のことをあまり好きではなかったんだと思います。親子だって相性はある。しかたがないとも言える。ただ、母はことごとく私のやりたいことをディスってきたんですよ。

姉は部活でバドミントンをやっていたけど、私はバスケットをやりたかった。すると母は『おねえちゃんと同じバドミントンにしなさい』と命令口調。バスケが好きなんだと言っても譲らない。結局、私はバスケをやりましたが母がユニフォームを買ってくれなかったので、親戚がやっている飲食店で皿洗いをさせてもらってバイト代をもらい、ユニフォームを買いました。母は『買ってほしいといえばよかったのに。あんたはかわいくない』って。拒絶されるのがわかっていたら頼まないですよね」

その分、自立が早かったのかもしれないと彼女は苦笑した。

それでも出産前後は頼るところがなくて

結婚して1年後、妊娠がわかった。出産が近づくにつれ体調は悪化、無事に出産したものの産後も体調の悪さは続いた。

「とても産まれたばかりの子のめんどうを見られる状態ではなかった。寝たり起きたりです。誰かに手伝ってほしかったけど、頼る場も人もいない。姉が母にそれを話し、母は『しばらく家にいればいい』と姉を通じて言ってきた。それで実家を頼ったんです」

家にいればいいと言ったくせに、フユミさんが寝ていると、「どうしちゃったのよ」と言い放つ。具合が悪いと言うと「そんなに弱い母親じゃ、子どもを育てられないね」と決めつけるように言う。

「体が弱っているから気も弱っているわけですよ。私はダメな母親なんだと刷り込まれていくんです。夫が来たときは盛大に愚痴を吐きました。3ヶ月ほどたったころ、夫は『きみとお母さんの関係はわからないけど、ここにいると、きみがどんどん別人になっていくような気がする』と言ったんです。ハッとしました。そうだ、私は母にダメな人間にされているんだ、と」

無理矢理起きて、自宅に戻った。家事などしなくていい、ただ、自分がいないときの子どもの安全だけ考えてくれればいいと夫は断言、早朝から起きて食事を作ってくれ、昼はお弁当、夜も早く帰って支度をしてくれた。

「子どもがいるところだけきちんと掃除して、あとは夫任せでした。でもそのおかげで1ヶ月ほどでだんだん元気になっていった。夫は『とにかく何も考えるな。ゆっくりしていればいい』って。子どもはほとんど夜泣きもしませんでしたが、それでもたまには泣く。すると夫は飛び起きてあやしてくれる。大変だったと思うけど弱音は吐かなかった。『妊娠、出産は自分にはできないこと。だからきみに敬意をもっているし、僕にできることはやる』と夫ははっきり言ってくれた」

ふたりで協力しあう体制ができあがっていった。1年後に仕事復帰したときは、夫婦関係も以前より緊密になり、彼女自身も強くなったと自覚した。

「実は私たち、3年くらいグループでよく飲み会をするような関係で、薄い友だちでしかなかった。それがあるとき急に親しくなって交際1ヶ月くらいで結婚しちゃったんですよ。だから周りには『大丈夫?』と心配されていたんですが、ものすごくいい人と結婚したんだと産後、やっとわかりました」

ふたりめのときは、はなから親を頼る気はなかった。

3年前、姉の夫の転勤で、母は以前ほど姉と時間を過ごすことができなくなった。妹はもともと遠方にいる。そうなって初めて、母は『フユミ、たまには一緒にごはんでも食べない?』と甘い声を出すようになった。

「行けば嫌な思いをするのはわかっていますから、行きません。もともと両親は仲が悪くて、母は姉だけが頼りだったんでしょう。姉はそんな母の過保護を笠にきて私を下に見ていた。それもわかっています。今さら、あのころのことを愚痴ってもしかたがないから何も言いませんが、私は夫と子どもだけが私の家族だと思っています。母とは距離を置いたままでいるのが精神衛生上、いいとわかっていますから」

冷たいと親戚や友人に言われることもある。だが他人の意見を聞いていたら、自分の心の平安は保てない。第一子の産後、それがいやというほどわかったから、もう同じ轍は踏まない。フユミさんはきっぱりとそう言った。
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