人間関係

「誰か私を認めて…」。母親失格の烙印に苦しみ続ける40代女性の承認欲求と不安の正体

誰か私を認めて。必死に生きてきた女性の、声にならない声が響く……

亀山 早苗

執筆者:亀山 早苗

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他者からの承認欲求が激しい人がいる。自分で自分を認めるのは自信がなさすぎて、「他人からそれでいいと認めてもらわないと不安でたまらない」らしい。なぜそれほど不安なのか、なぜ自分の人生を「是」とできないのか。
 

離婚後、娘が荒れはじめて

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「私が離婚したのは娘が5歳のとき。離婚理由は娘には言いませんでした。娘には『お父さんに会いたいなら会っていいんだからね』と伝えたけど、彼女は会おうとしなかった。私自身は、同居の義母と夫からのモラハラに耐えかねて自分が壊れそうになったから娘を連れて家を出たんです。当時は、娘の心情を考える余裕はありませんでした」

サツキさん(44歳)はそう言う。27歳のとき、かつての幼なじみと期せずして再会した。それは小学校低学年のころ近所に住んでいたマサオさんで、仲良くしていたのに突然、越していったきりだったのだ。

懐かしさのあまりふたりきりで会う約束をした。飲めない酒を飲まされ、たった1回の関係で妊娠し、彼の親に頭を下げられて結婚した。ところが義親と同居してみると、「勝手に妊娠してこの家に入り込んできた、しょうもない嫁」扱い。結婚前とまったく違っていた。

「私は実の親がいなくて、子どものいない親戚が養父母となって育ててくれたんです。愛情を注いでもらったので、婚家でうまくいかないからといって帰ることはできなかった。養父母に心配させたくなかった」

その気持ちを知ってか知らずか、義母は近所の人に「実の親にも捨てられたような子が嫁に来て」と言いふらしていた。サツキさんは結婚してから一度も笑ったことがないという。マサオさんは「おふくろの言うことを聞いていれば間違いないから」というようなタイプ。どうしてもこの家にはいられないと思うようになったという。

出産後、ただでさえ気持ちが乱高下するところへ、家事を押しつけられて涙が止まらない日々が続いた。

子どもが産まれて半年後、ついにサツキさんは赤ちゃんを抱いて家を出たのだった。
 

仕事を転々として

子連れで働けるのは夜の仕事くらいしかなかった。パブやクラブなど託児所のある大店で仕事を続けた。

「娘が小学校に入学したら昼の仕事に変わろうと思ったんです。でも実際には、昼仕事では稼げない。このままだと娘に不自由をさせる。養父母は離婚したことは知っていましたし、『いつでも頼っていいからね』と言ってくれていた。だから夜は養父母に娘を預けて働こうと思ったんです。でも相談に行くと、向こうから『実はお父さんが病気で』と先に言われてしまって。かわいそうだけど平日はひとりでごはんを食べてひとりで寝るようにと、娘には言い聞かせました。けなげにがんばってくれましたよ」

医者か弁護士になってお母さんを楽にさせてあげる。娘はいつもそう言っていた。二人三脚で生活をともにしてきた。ところが有名公立高校にいい成績で入学したあと、娘は突然荒れるようになった。

「反抗期かなと思ったんですが、ちょっと違うんです。そのころは私、資格をとって昼仕事に変わっていたので、朝出勤するんですが、娘は私と一緒に家を出て学校に行かずに帰っていたようです。学校からの連絡で初めて知りました。学校に行きたくなければ行かなくてもいいけど、あなたの将来はどうするのと言うと、部屋にこもって出てこなくなった」

ベッドの中で手首を切っていることもあった。リストカットにしては傷が深すぎ、おそらく本気で死ぬ気だったのだろうと想像して、サツキさんは震えが止まらなかった。こんなに愛してきたのに、娘のために生きてきたのに。だが、娘からは「私なんかどうして産んだの? 離婚するくらいなら産まなければよかったじゃない」と責められた。

「確かに寂しい思いもさせたし、お金も節約しながら生きてきた。でもあなたは私の宝物だといつも伝えていたつもりだったのに……」

ママは私を利用して生きてきたと言われたときはショックだった。ひとりでは抱えきれなかったが、養父はすでに亡くなり、養母も高齢者施設に入っていて相談すらできない。

「養育費ひとつよこさなかった元夫には相談したくない。心細くて、自治体の相談窓口や子育ての専門家など、あちこち渡り歩きました。でもいまだに解決できていない。娘は高校を中退し、今は自室にこもるか、ふらっと出かけて数日帰ってこないか。声をかけたいけどかけるのが怖い。そもそも私の育て方が悪かったんでしょうね。中学生まではいい子だったのに、彼女もいい子でいることがつらくなってしまったのかもしれない……」

無理に学校に行かなくてもいいから、娘本人が楽しいと思える日々を過ごしてほしい。サツキさんはそれをどうやって伝えたらいいか考え込んでいる。

「それでも日によって話をすることもあります。ただ、そういうときはすぐに泣き出して、何を訴えたいのかわからない。とにかく聞くからといってもうまく話せない。本人も焦れるんでしょう、結局、私に罵声を浴びせてくる」

母親失格という言葉が頭の中をぐるぐる巡る。がんばってきたのに、必死だったのに。それでも子どもは思うようには育たない。

「あなたは間違っていない。がんばってきた。そう誰かに言ってほしい。崩れそうな私を支えてほしいんです」

彼女はそう言って涙を流す。おそらく彼女の娘も同じような思いなのではないだろうか。誰かに自分を認めてほしい、支えてほしい、と。まずはサツキさんが自分で自分を認めないと、事態は変わらないのではないだろうか。他人に認めてもらうより先に、自分で「完璧ではないとしても、私はがんばってきた。あなたのことが大好きで産んでよかったと思っている」とはっきり伝えてみたら、娘はどういう反応を示すだろう。

「やってみる。ちゃんと話してみる」

そう言った彼女だが、5カ月後にまた同じ話を繰り返した。娘に媚びず、まず人間同士として自分をさらけ出してみるしかないのではないだろうか。その一歩を彼女がいつ踏み出せるかが重要だ。
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