夫は心を癒やしてくれるけど
外資系企業に勤めているアキエさん(36歳)は、帰国子女でバリバリ働く自分が好きだった。20代前半でつきあっている彼に二股をかけられてフラれた経験があり、それ以来、「男は信用できない、結婚なんかしない、仕事は裏切らない」が口癖だった。だが29歳のころ、激務がたたって体を壊し、半年間の静養を余儀なくされた。そのとき勤めていた会社を辞めて体を作り直したという。
「でも気持ちがついていかなくて。何のために頑張ってきたのかわからなくなっていました。そんなとき、もっと前にその会社を辞めた同僚が声をかけてくれて会うようになったんです」
彼は気の優しさがあだとなって業績が上がらず、リストラされた身。再会してみると、福祉関係の仕事をしているという。自分にはこっちが合ってると言う彼を見て、アキエさんは「でも私はもう1回頑張る」と、またも厳しい外資の世界に飛び込んでいった。
「そんな私を彼は励ましたり慰めたりしてくれました。この人の優しさが私には必要だと痛感して、31歳のときに結婚したんです」
彼は子どもを欲しがったが、アキエさんはまだ自分の力を試したいと仕事に打ち込んだ。3年後にヘッドハンティングされ今の会社に入り、若き管理職としてさらに働いた。出張が多かったが、夫はそんな彼女を完璧にサポートしてくれたという。
「夫には本当に感謝しています。でも自分の仕事がうまくいくようになると、パートナーとして夫は物足りなかった。もっと政治や経済の話をしたい、たくさんの論文を読み込みたい。でもそういう援助は夫には頼めない。夫はいつも癒やしてくれるけど、それだけ。贅沢なことを言っているのはわかっているんですが」
そんなとき、彼女のいる部署に入ってきたのが2歳年上のサトシさんだった。
頭脳明晰な彼に敬意を抱いて
アメリカの大学院を卒業して4カ国語を操るサトシさんに、アキエさんは後頭部を殴られたようなショックを受けた。しかも彼は仕事をなんなくこなし、さらに自ら開拓していく前向きな姿勢をアピールするのがうまかった。「彼と話したら、アメリカの会社でいろいろなノウハウを培ったんだそうです。両親が弱ってきたので帰国したけど、いつかまたアメリカに戻りたいと言っていました。仕事ではけっこう攻撃的に見えるんだけど、実はそれもアピールの一環。実際には気さくで、性格もいい。しかも顔がドンピシャで私のタイプだったんです」
たとえて言えば、俳優のディーン・フジオカさんのようなタイプらしい。彼女は一気に彼との距離を詰めた。そして半年後には、抜き差しならない仲になった。
「離婚してよ。一緒になろう。サトシはそう言ってくれました。でもよく考えたら、この先、生活していく上で、おそらくそばにいてほしいのは夫。サトシは高収入だし、刺激的で楽しいけど決して家庭的ではない。私はサトシほど能力がないから、どう頑張っても大きく飛躍はしないだろうと思っていたんです」
それなら彼の能力を自分の身に宿せばいい。無謀にも彼女はそう考えたのだという。
「あのころの気持ちを正確に言葉にするのは難しいんです。ただ、本気で彼に恋をしていたから、何か彼との証がほしかった。彼の才能や容姿が羨ましかったし、この人の子がほしいと直感的に思ったのも事実。とにかく彼の子がほしい。その思いにとりつかれてしまったんですよ」
彼にはピルを飲んでいると偽り、関係を続けた。数カ月後、妊娠の兆候があったとき、サトシさんの子だと直感で思ったという。
「夫とのときはちゃんと避妊具をつけてもらっていたから。それに若干、日にちがずれているんですよね。出張に出る前にサトシと関係を持ち、その後、2週間くらい帰ってこなかったので夫とは関係を持ってなかったんです」
妊娠がわかったとき、夫は「僕がちゃんと育てるよ。きみは好きなように仕事をしていいから」と目を潤ませて言った。サトシさんには話していない。
「体調が安定しなかったので、その後、サトシと個人的に会ってないんです。社内では話していたけど。お腹が目立ってきたころ、サトシが『もしかしたら僕の子?』とメッセージを送ってきたことがあります。まさか、と返して終わり。私が産休に入るころ、サトシは年俸問題で会社と揉めて、他社に移っていきました」
変わらずバリバリ働いていることは風の噂で伝わってくる。もし彼に、あなたの子だと伝えたらどんな反応をするのだろうと考えたこともあった。
「産まれたのは彼によく似た男の子でした。夫は『オレより男前だなあ』というので、『あなたにそっくりよ』と言っておきました。今、息子は2歳になりましたが、ますますサトシに似てきた。でも周囲は『あなたに似てる』と言ってくれるのでホッとしています」
優しく献身的な夫と、愛したサトシさんに似たかわいい息子。前にも増して仕事に打ち込む彼女は、「最近は週末、きちんと休むようになりました。家族との時間を大事にしようと思って」と、何ごともなかったかのように微笑んだ。