「したい」「したくない」で揉め続けて
高校時代からつきあい、24歳で結婚したアキナさん(40歳)。16歳、14歳、10歳の3人の子がいる。夫は自営業者で義父母と同居、アキナさんは子どもたちが小さいときは自営業を手伝っていたが、末っ子の小学校入学を機に外で働き始めた。家事育児に追われながら勉強を続け、コンサル関係の事務所に自身を売り込んで仕事を得たという努力の人だ。「実は末っ子が生まれてからセックスレスです。したくないんですよ、私が。そもそもああいう行為があまり好きじゃないし、子どもはもういいと思ったらする意味が感じられなくなったし」
苦笑いをしながら彼女はそう言った。「したい」と言う夫と、何度もこうしたやりとりを繰り返してきた。
「夫は『セックスは生殖のためだけにするわけではない。愛情確認だ』と言う。でも私は、しなくても愛情を表現できる。ハグしてキスして、夫につきあって朝まで仕事の悩みを聞いたこともあります。愛してなければできないと思うんですよ。セックスして一時的に何かをごまかすことはできても、継続する愛情というのは、それだけで示すものではないと感じています。たぶん私には性的欲求がないんだと思う」
それでも夫は、朝まで続く会話のように、性的にもつきあってほしいと言う。会話ではつきあえても「肉体提供は無理」と彼女は言う。
「いつでもしたい側の理屈は通るけど、したくない側の理屈は通してもらえない。ただ、したい側の気持ちは想像できます。だから私、夫に外でしてきてもいいと言ったんですよ。その面だけ外注するのをダメだとは言わないって。そうしたら夫はものすごく寂しそうな顔をして『それはできない』と」
この話をすると、友人たちから「そこまで言うならつきあってあげればいいのに」と言われることが多い。したくないことをなぜつきあわなければいけないのか、しかも「つきあってあげれば」となぜ上から目線なのか、と彼女は不思議に思うそうだ。
「結局、女性にとって、セックスというものは何かのバーターとして、あるいは何かの担保として差し出されるものだという気がしてならなくて。したくないだけ、が通用しないのはなぜなんでしょうね」
確かに言われてみれば不思議かもしれない。
10年かけて互いの主張は平行線
「うちはまだまだ子育てにも手がかかるし、7人家族ですから家事も山積み。家族それぞれ自分のことは自分でしてくれますが、それでもまとめてしないといけないこともある。食事の献立だって私が作って、週末にある程度は下ごしらえもしなくてはならないし。とにかく忙しいんですよね。時間は効率的に使いたい。“肉体提供”している間に仕事の勉強もしたい。嫌なことを避けてしたいことをするのが基本だと思うから」ときには夫と映画に行ったり食事に行ったりすることもある。夫は「こういう時間にきみとベッドで愛し合いたい」と言うが、アキナさんはそれを愛情確認とは思えないのだ。映画を一緒に見て、その話をしながら食事をしたほうがずっと相手を知ることができる。
「愛情表現の方法が違うのかもしれません。馬を水辺に連れて行くことはできても水を飲ませることはできないって言うでしょ。私をベッドに連れていっても、するかどうかは私次第なはず」
そう言ってアキナさんはカラカラと笑った。したくない自分を恥じることはないし、しないからといって女性性が失われるわけでもない。セックス=愛ではないって、みんな知っていることでしょと彼女は言った。
「だけど、拒否する女は頑なだとか、女としてかわいくないとか言われてしまう。夫に抱かれてなんぼだと言う人を見ると、いや、それは違うでしょと言いたくなりますね」
したくない自分を夫は受け入れることができるのかと考えることもあるが、それならしたい夫を自分も受け入れなくてはいけない。だからこそ、外注を要求するのだが、夫はそれを拒否する。夫からの代替案は出てこない。
「交渉事はむずかしいですよね。もう10年もこのことで揉めている。でも夫と会話がなくなったわけではないし、深刻な溝ができているわけでもない。むしろ、これがふたりの共通の話題になっているのかも。夫にそう言ったら、『僕は深刻に悩んでいる』と言われちゃいました」
“家庭を維持していくことと夫婦のセックスは別”だと考えるアキナさん。夫は“夫婦はセックスがあってこそ成立するものだから、家族としては成立しているが男女関係は壊れている”と主張しているそう。それに対してアキナさんは、「男女関係が壊れていても夫婦としては成り立っている」と反論している。
こんな夫婦がいてもいいのではないか。いずれはどちらかが変わるかもしれないし、高齢になっても同じ議論を続けているかもしれない。
「お互いの主張を譲らず、平行線のまま添い遂げたら、それはそれでおもしろいとも思っています」
アキナさんは最後にそう言ってまた笑った。