やっと離婚できた喜び
「23年、がんばりました。自分にそう言ってやりたかった」満面の笑みでそう言うのは、マサヨさん(53歳)だ。1年ほどつきあった、3歳年上の男性と結婚したのは28歳のとき。最初の1年ほどは幸せだった。ところが29歳で第一子を妊娠したところから夫の本性がときおり現れるようになった。
「ちょっとしたことなんだけど、あれ、と思うようなことを言うんです。たとえば、私がつわりがひどくて苦しんでいると、自分の食事は自分でどうにかする。『きみはどうする? 何か軽いものを作ってあげようか』とも言う。そこまではやさしいんですよ。だけど最後に、『おふくろに聞いたけど、つわりがそこまでひどいのはきみの心身がおかしいんじゃないかということだったよ』と一言つく。それは言わなくてもいいでしょ、という話ですよね」
素直なのか愚かなのかわからない、そういうことが多々あって、そのたびに傷ついていたとマサヨさんは言う。
第一子の長女が生まれたとき、夫はなかなか抱き上げようとしなかった。壊しそうで怖いと怖じ気づいた。その気持ちはわかるとマサヨさんは言った。
「でもあなたはもう父親なんだから。この子をふたりで守って、育てていくんだよと言ったら、けっこう青ざめていましたね。結局、彼は年上だけど子どもだったんです」
3年後に長男が生まれたときも同様だった。だが子どもがしゃべるようになると少しずつ態度が変わっていく。子どもがかわいいという気持ちと愛情は持っていた。
「それでも自分だけで子どもを連れてどこかへ行くことはありませんでした。私が一緒でないと出かけられない。子どもとどう接していいのかわからない感じでしたね。彼の父親はほとんど家族と話さなかった人らしいです」
夫は自分は父親とは違うと最初は努力した。だが子どもたちが長じるにつれ、「オレの言うことを聞け」と支配的になっていった。そしてそれが通じないとわかると、積極的に子どもとかかわろうとはしなくなった。
「夫にも思うところはあったんでしょうけど、それを言葉にして私に伝えてはくれなかった。感情を言葉にするのが苦手だったのかもしれません」
そのため、夫婦の心は離れていった。
それでも離婚しなかったわけ
「何度も離婚しようと思いました。でもそのたびに経済的な問題を考えざるを得なかった。子どもたちは望むなら大学まで行かせてやりたかったし、パート勤めの私の収入だけでは塾にも行かせてやれない。夫は手を上げるようなことはなかったから、子どもたちが大きくなるまでは我慢しようと決めたんです」平日は遅く帰宅して自室にこもるのが夫の常だった。いつしかマサヨさんの作った食事もしなくなっていた。それでも仕事はきちんとしていたし、家計もマサヨさんに任せてくれていた。
「ご飯食べないのと声をかけたこともあるんですが、いらない、と。偏食なんですよね。子どものことを考えて栄養のバランスのいい料理を作っていたら食べなくなっていきました」
下の子が大学に進学したとき、「私たちもだんだんふたりきりの生活に近づいていくわね」と夫に言ってみた。老後をどう考えているのか知りたかったのだ。
「夫は『オレ、もうじき会社を辞めて田舎に帰るよ』って。ごく当たり前のように言ったんです。定年後はどういう生活をするかという相談もなく、勝手に決めていたようです。は?という感じですよね。私はどうなるのと聞いたら、『来るなら来ればいいよ』と。家のローンは早期退職でもらう退職金で一括払いするから、ここにいたいならそれでもいいしと、もごもご言っていました(笑)」
その瞬間、自分はどうしてこの人と一緒にいるのだろうとマサヨさんは不思議な気持ちになったという。そして夫が早期退職したその日、マサヨさんは離婚届を突きつけた。
「夫は、そんなつもりはないと驚いていました。あなたにそんなつもりがなくても、私にはあるのと言いました。夫は家庭内での自分の役割とか、夫婦関係とか、そういうこととは無縁で生きているようにしか私には見えなかった。そう言ったら、『どうしたらいいかわからなかった』と。老後のことだってひとりで決めていると言ったら、『だって仕事を辞めるかどうかはオレの選択でしょ』と。結局、いつもそうなのよねと話は終わりました」
最初は驚いたものの、夫は意外にも淡々と離婚を受け入れた。財産分与もスムーズだった。最後にマサヨさんが「今までありがとう」と言ったら、「こちらこそ」と一言。あなたにとって結婚生活は何だったのと尋ねたが、答えは返ってこなかった。
※「令和4年度 離婚に関する統計の概況」(厚生労働省)