とはいえ、口さがないのが世間というものでもある。
私にとっては「いい結婚」なのに
40代になってから結婚したミサトさん(45歳)。仕事が忙しかったことと、30代で父親の介護をしなければならなかったことが、結婚を遠ざけていた理由だ。「海外出張も多い仕事で、20代から30代前半にかけてはしょっちゅう外国に行っていました。私が33歳のとき、定年退職した直後の父が倒れて、ひとりっ子の私は母とふたりで半身麻痺になった父のめんどうをみることになったんです。仕事上、ときどき海外出張がありましたが、それも会社に頼んで減らしてもらった。一時期は仕事を辞めなければいけないかもと思い詰めたこともありますが、母が『仕事を辞めたら後悔するわよ』と言ってくれた。大変だったけど7年、母とふたりでがんばりました。私が40歳のとき、父が再度、発作を起こして亡くなったんです」
悲しかったが、ほんの少しホッとしたのも事実だった。当時、母は67歳。まだまだ元気だった。母の意志で実家を売って、それぞれに中古のマンションを買った。
「やっと自立できました。おそらく母は、このままふたりで暮らしていたら、私の人生を邪魔すると思ったんじゃないでしょうか。いずれは施設に入るから、あなたは好きに生きなさいと言ってくれました」
40歳にして初めてのひとり暮らしで、自分の意志で行動することの自由を知った。考えたら、それまではいつでも親のことを気にしていたのだ。
「ひとり旅をしたり、行きつけのバーを作ったり。スポーツジムにも行くようになりました。行動範囲が広がって、仕事関係以外の友人もできた。そして初めて参加したフットサルで知り合ったのがユウジさんだったんです。ようやくひとり暮らしにも慣れてきたころでした。コロナ禍直前だったと思います」
せっかく知り合って話すようになったのに一昨年の春、コロナ禍に突入。だがふたりの関係は途切れなかった。LINE等で連絡を取り合い、夏には再会。再び営業を始めたジムに一緒に行くようになったのだ。
ユウジさんは2歳年下。ふたりは男女であることを特に意識せず、よくしゃべった。こんなに気の合う男性がいるなんてとミサトさんは何度も感動したという。
なぜ結婚しなかったのか?と聞くと……
ところがあるときふと、こんな素敵な人がなぜ今まで結婚しなかったのだろうと疑問を抱いた。「恋人関係でもないので、ストレートに聞きましたよ。そうしたら、彼も家族の犠牲になっていた。小学生のとき両親が離婚、彼は父親にひきとられ、弟と妹は母のもとへ。彼が大学を出たとき、弟は高校2年、妹は中学3年だったそうです。母は必死に働いていたけど、まとまったお金がない。だから彼は自分のボーナスをすべてはたいて、ふたりの学費にあてたそうです。一時期はみんなで一緒に住もうと思ったこともあったけど、長い間、離れていたからお互いに気まずい感じだった、と。だから彼は会社の寮に住んで、月に数回、母のところを訪ねて、おいしいものを差し入れしていたそうです。実質的に妹が大学を出るまで、彼が経済的にめんどうをみていたそう」
妹とは8歳離れていたから、妹が大学を出たとき彼は30歳になっていたのだ。それから10年、今度は病気がちになった母のめんどうを見ながら、自分の生活を立て直した。
「彼のお母さんは今も元気です。『この子には苦労ばかりかけた。ふたりで幸せになって』と言ってもらいました。私たち、40代になって、やっと自分の人生を生きられるようになったんです。『ミサトに巡り会えてよかった』と彼は言ってくれた。私も彼に出会って、人生が報われたような気になりました」
44歳と42歳での結婚だった。子どもは望まない。とにかくふたりで仕事を続けながら、これからは楽しい人生を送りたいと気持ちは一致していた。
「でも周りはそうは見ないんですね。今さら結婚する意味があるの、とジムの友人に言われたときはびっくりしました。彼の弟さんも『建設的な結婚じゃないよね。もっと若い人と結婚すれば子どもだってもてるのに』と言ったんですよ。彼の母は何を言うのって怒ってました。彼は黙って弟の頭をポカリと叩いていた。彼の苦労は、弟さんにはわかってないみたい。妹さんとは仲良くしています。彼女によれば『次兄は変わった人だから』って」
ともに歩みたいと思える人とめぐり会えたことが大事なのであって、子どもができれば建設的な結婚というわけではないのはもちろんだ。何を幸せとするかは人によるので、もちろん子どもがいない結婚生活は意味がないと思う人がいるのはしかたがない。ただ、それを当人に言うのは、あまりに心ない。
「私たち自身はお互いのことがわかっていますから、気にはしていませんけど、でもある程度の年齢になってからの結婚が世間に祝ってもらえないとしたら、なんだか寂しい話ですよね」
ミサトさんは、そう言って何かを吹っ切ったように笑顔を見せた。