いきなり「離婚」って何?
結婚して30年を迎えたつい先日、妻からいきなり「離婚元年に乾杯」と言われて驚愕したというマサノリさん(58歳)。どういう意味なのかを尋ねると「文字通りよ」と笑って躱された。どうやら妻は、夫の定年退職を待って離婚したいらしいと、娘から言われて初めて知った。
現在、28歳の長女は自宅から通勤し、25歳になった次女はひとり暮らしをしながら遠方の大学院で学んでいる。長女とは一緒に住んではいるものの、週に1回ほど顔を合わせればいいほう。ほぼ「いくらかもらって間貸ししている状態」だそうだ。
「それだけ大人になったということですが、娘ふたりが離れていくのはやはり寂しい。今後はもう妻と手を取り合って生きていくしかないんだなと思ったときの妻の衝撃発言ですから、本当にびっくりしました」
下の子が産まれたとき、妻は仕事を辞めた。その後は「家のことに支障がない程度にパートで働いてきた」のが妻の人生。家事育児は、妻にほとんど任せていたとマサノリさんも認めている。
「分業するしかなかったんですよ。うちはふたりとも地方出身で頼れる親戚もいなかった。僕は仕事をして稼いでくる、妻は家庭を運営していく。それがいいと思っていた。もちろん、子どものことはきちんと向き合ってきたつもりです。でもその分、妻への気配りが足りなかったと言われれば否定はできません」
よくあるパターンだと言ってしまえばそれまでだ。だがマサノリさんは家庭を愛していた。酔って帰ることも多々あったが、長女が骨折したときは社内の重要な会議を早退して病院に駆けつけた。「非常時」にはいつも家族を優先させた。
「それではいけなかったのか」
マサノリさんは落ち込んだ。
妻の言い分に、どこか腹が立つ
「非常時しか寄り添ってくれなかった」それが妻の言い分だ。子どもはかわいかったが、幼子をふたり抱えているとき、妻は心がすり減っていた。
「たまには子どもを見ていてほしい。休憩したいと必死に訴えても、あなたは週末、ゴルフに出かけた。そのとき私には絶望感しかなかったと妻に言われました。あの当時はゴルフもまた仕事だった。だから、というわけではないけど40歳で妻の注文通りの家が買えた。大きな病気もせずに今まで来られたのは妻のおかげだと思っていますが、それはもうお互いさまでしょう、夫婦なんだから」
ずっとがんばってきたんだよ、オレだって。マサノリさんはそんな思いを抱いている。ふたりともがんばってきた、だから定年後は楽しく暮らそう。結婚30年目にはそう言いたかった。だが、妻から先に三行半をつきつけられた。
「僕の定年は65歳。実はあと7年ある。妻だってそれを知っていながら、なぜ今言ったのかがわからない。娘によれば、ここから離婚までカウントダウンしていくらしいんですが、その間、僕が変われば妻の考えも変わるかもしれないとのことでした」
それを聞いて、なんとか離婚は免れたいと思う一方で、30年という長い時間を、そんなふうにバッサリ斬ろうとするのなら、それでもかまわないと思うようにもなっている。
「どうやら妻には、親の遺産が入ったみたいなんですよ。だから離婚してこれまでの財産を折半すれば、遺産と合わせて暮らしていけるという算段があるんじゃないでしょうか。『おとうさん、ひとりになったら寂しいんじゃない?』と娘は言いますが、妻の本心を知ってしまうと信頼感がガラガラと崩れてしまった」
今のところ、妻とはこれまで通りの生活を送っている。洗濯もしてくれるし、帰ってから食べるといえば食事の用意もしてくれる。だが、テーブルの上に料理が置いてあるだけで、妻本人は自室にこもっていることが多くなった。
「けっこう仲のいい夫婦だと思っていたんですが、離婚を言い渡したときの僕の態度が気に入らなかったのかもしれません。妻としてはもっと僕がすがると思っていたんじゃないかな。ただ、僕はびっくりして反応できなかっただけ。その後、いろいろ考えて、そっちがその気なら……という方向に気持ちが変わっていった」
つい先日、マサノリさんは、「どうせなら今、離婚しようか。退職金をもらった時点で半額、振り込むし、貯金も半分持っていっていいよ」と言ってみた。妻の反応を見たかったのだが、妻は「まだいい」とだけ言った。
そこから妻の気持ちがわからなくなった。離婚は試しに言っただけなのか。そうだとすれば逆に腹が立つ。
「30年一緒にいてもわかりあえない。それがいちばん悲しいですね。妻とはちゃんと話し合うつもりです。どういう結末になっても受け入れるしかありませんが」
ふたりとも、平均寿命から考えるとあと30年は生きる可能性がある。結婚していた30年と同じ年数を、今度はふたりだけで歩んでいくことになるのか、ひとりずつになるのか。それはこれからの話し合いにかかっている。