晩婚、そして不妊……想定外の出来事が次々に
36歳のときに結婚したユリカさん(51歳)。結婚が遅めになったのは、仕事でのキャリアを中断したくなかったから。そして目標がある程度クリアできたので、5年つきあっていた同い年の彼と婚姻届を出した。「予定ではすぐ妊娠して37歳で出産、1年未満に復職のはずだったんです。検査もしていたから肉体的には問題ないはずだった。ところが妊娠しない。38歳になってあわてて不妊治療を始めました。まずこれが想定外でしたね」
不妊治療には時間もお金もかかった。子どもは「絶対にほしかった」ので、途中であきらめるつもりはなかったという。
「夫は『もういいんじゃない?』と何度も言ったけど、私はあきらめきれなかった。私の中であきらめるという選択肢はないんです。がんばれば報われると信じて生きてきたので」
40歳を目前に妊娠したものの、流産の危機が何度かあった。それでも持ち前の「がんばる精神」で出産までこぎつけた。
「ただ、そこからがまた想定外で。出産を機に私が体調を崩して、なかなか元に戻らない。子どものめんどうもろくに見られず、自分で自分が歯がゆくてたまりませんでした。手伝いに来てくれた義母に悪態をついて関係が悪化、夫との仲も険悪になって。みんな私をわかってくれないと被害妄想に陥っていましたね、あのころは」
体調も精神状態もひどかったと彼女は苦笑する。産後、生まれたばかりの娘の顔を見たとき、ユリカさんは涙が止まらなかった。
「だから早く結婚して子どもを産めばよかったのにと実母に言われて、これにもまたカチンときて。唯一、助けてくれたのは夫の姉でした。彼女はずっと独身で働いてきた人なので、『あなたの気持ちはよくわかる』と言ってくれた。義姉がいなかったら、私は完全崩壊していたと思います」
義姉の仲立ちで義母とも和解、それ以来、義母とはいい関係を保てるようになっていった。
「がんばれば報われる」と信じているけど
現在、娘は10歳。近くの公立小学校に通っているが、中学は私立へ行かせたいとユリカさんは考えている。ところがこれに夫は大反対。義母は中立を保っているが、どちらかといえば夫寄りだ。義姉までが「高校からでいいんじゃないの」と言い始めている。「私、自分が私立の中高一貫に通っていて、とても充実した学校生活を送ったんです。だから高校まで公立の夫や義姉にはわからないんだと思う。でもそれを言ったら揉めることくらい私も学習してきました(笑)。今はどうやって娘本人がその気になってくれるかをあらゆる手を使って“洗脳”中です。お受験には、向き不向きがあるとよく言われますが、親がどこまで本気になるかにかかっていると思うんですよね」
がんばれば報われる、あきらめるという選択肢はない。それを信条にかかげているユリカさんならではの生き方だが、周りがつらくなりそうではある。
「最終的には本人の意向だということはわかっています。今になると、実母が言ったように、もっと早く結婚しておけばよかったのかもしれないと思うことはある。というのも、自分が思っていたほど社内で出世できていないから。でもあのときはあのときで全力でがんばっていたし、キャリアを中断させたくないのも事実だった。だからしかたがなかったと思うしかない」
この10年で勤務先も状況が変わった。女性の社内的地位は確実に上がっているし、出産前後の働き方もフレキシブルになっている。ユリカさんが30代のころにはそんな選択はできなかったのだ。
「今、30代の人たちを羨ましいと思います。本音を言えば、私、もう疲れた。仕事やめたい、夫にもっと稼いでほしい、娘、もっと勉強できるようになってほしい。宝くじでも当たらないかなあ。楽して生きたい。そこですよね(笑)。でもみんな同じように思っているはずだし、現実を受け止めて生きていくしかない」
それでもこのコロナ禍でいいこともあった。一時的に在宅勤務が増え、家族3人に妙な緊張感があったころ、夫が緩和剤になってくれたのだ。
「うちの夫、失礼な言い方だけど可もなく不可もないタイプなんですよ。文句を言わない代わりに、特に家庭生活に寄与するわけでもない、という……。だけど家にいる時間が増えて、私が娘に口やかましく言いすぎると思ったようで、夫は道化に徹してくれた。常にくだらないことを言って娘を笑わせ、結果、私も笑ってしまう感じ。あとから考えたら、夫は捨て身でがんばってくれたのかもしれない。人生、つらいときでもいいことはあるものかもしれません」
それでも「がんばれば報われる」考えを改めるつもりはないとユリカさん。これはこれで彼女の生き方なのだろう。
「娘が20歳になる前に私は還暦。まだまだがんばるしかないんです」
彼女は再度、キリッと表情を引き締めた。