「子どもはまだ?」と義母に責められ続けた
「何度も何度も自問自答しました。私の我慢が足りない、そんなことじゃ誰と結婚してもうまくいかない。一度だけ相談した実母にそう言われました。でも自分の心がどんどん死んでいくような気がするんです」東京近県に住むユウコさん(38歳)は伏し目がちにそう言った。結婚したのは30歳のとき。相手は友人主催の飲み会に出席したとき、たまたま同じ居酒屋にいた人。彼女がお手洗いに行った帰りに廊下の角で彼にぶつかってしまったのだという。
「ふたりともほろ酔いだったので、私はぶつかった拍子によろけてしまった。彼は支えてくれたんですが、私が足を捻ったんです。席に戻ってしばらくたつと、足首がどんどん腫れてきた。彼が心配して見に来て、『これは医者に行ったほうがいいですよ』と。そのままタクシーで“知り合いが勤める病院”に連れて行ってくれました」
レントゲンを撮って骨折ではないとわかった。彼は本当に申し訳ないと何度も謝ってくれたが、ぶつかったのは意図的でないとわかっていたから、「そんなに謝らないでください」と彼女は言うしかなかった。
「タクシーで家まで送ってくれ、玄関を開けて電気をつけると、彼は『また連絡します。治療費は僕がもちますから』と爽やかに帰っていきました。ケガをさせられたという気はしていませんでしたね」
のちに彼女が連れていってもらったのは、彼が検査技師として勤める病院だと知った。それがきっかけで1年ほどつきあって、彼女は3歳年上の彼と結婚した。
「私はまだまだ仕事をしたかったので、子どもはもう少しあとでと考えていました。彼も一応、賛成してくれたけど、彼の母親が『子どもはまだなの』とうるさかったですね。それに対して彼が私をかばってくれたことはなかったのが気になっていました。もめごとを起こしたくないと常に逃げ腰だった」
3年後、1年がかりのプロジェクトのリーダーとして無事に仕事を成し遂げたことで、ユウコさんは少し自信を得た。そんなタイミングで妊娠がわかった。
同居はしたが、私は「家族の一員」に含まれない
ユウコさんは実家とは疎遠になっている。父はすでに亡く、母は妹一家と住んでいる。昔から母は妹だけをかわいがった。ユウコさんは母から愛されているとは思えないまま成長した。「だから大学も家から遠い東京にしたんです。卒業してからは数えるほどしか帰っていません。帰っても実家には顔を出すだけで、旧友と会ってホテルに泊まっていた。母から『どこに泊まるの』と言われたこともない。母にとって私はそういう存在なんです。だから妊娠がわかっても実家には知らせなかった」
頼るところは夫の母しかいないが、それも気が進まなかった。だが夫は彼女から妊娠を聞くやいなや母親に報告。義母からは「体を冷やさないように」「仕事は今すぐ辞めたほうがいい」などよけいなおせっかいばかりされた。
「そのころ住んでいたのは小さなアパートでした。義母は『うちに来なさい。2階はあいているんだから』と。同じ敷地内には夫の弟一家も住んでいましたから、“家族アレルギー”みたいなものがある私としては、あまり気乗りしなかったんです。でも夫は『人手が多いほうがいいし、ユウコもすぐに慣れるよ。うちの一家、意地悪なんかしないしさ』と妙に純粋に喜んでいる。私も早く仕事に復帰したかったし、人数が多いほうが息が詰まらなくていいかもしれないと思ったんですよね。魔が差したんでしょうね(笑)」
同居してからも働き続け、産休に入ってすぐ女の子を出産。2カ月半後には職場にいたという。彼女が仕事にこだわったのは、仕事自体が好きだったせいもあるが、「自分の居場所」だったからだという。育った家庭に居場所のなかった彼女は、職場にいるときがいちばん安らげた。そして結婚してからもそれは続き、同居してからはさらにその思いが強くなった。
「夫は食事については義母に頼り切っていました。『ちょうどよかったじゃないか。きみは料理が苦手なんだし』と義母の前で言われました。確かに私は料理が得意ではないけど、そんなふうに言ったら、手ぐすねひいて息子と孫を味方につけたい義母が喜ぶだけ。同居してわかったのは、確かに義母は意地悪ではないかもしれないけど、優しくもないということでした。私には」
娘の1歳の誕生日。初めての誕生日を自らプロデュースしたかったユウコさんは夫にその日は代休をとれるから、親子3人でゆっくり過ごしたい、たとえばどこかホテルとかとってと提案した。夫はにべもなく、「それは無理でしょ。オヤジもおふくろも楽しみにしているんだから」と言った。じゃあ、別の日でもいいからとユウコさんは食い下がった。
「同居してから夫と娘と3人だけでゆっくりしたことがなかったんです。でも夫の返事は『わかった、今度ね』と。義両親と一緒だと寛げない私の気持ちをまったくわかってくれなかった」
保育園に入れようとすると、「うちは手があるんだから幼稚園でいい。なんなら小学校に入るまで私が面倒見る」と義母に反対された。せめて3年保育と思ったが、義母は頑なに娘を離そうとしない。
娘が3歳の誕生日に、彼女が早めに帰宅すると、家には誰もいなかった。弟一家もいない。夫に電話をかけると、みんなで食事に出かけたという。
「私は家族じゃないんだ……と呆然としました。私はその日、残業だと夫も義母も思い込んでいたと言い訳されましたが、ショックでしたね。このままだと娘をとられる。離婚という2文字が浮かびました」
とはいえ、娘はまだ4歳。この春から義母の反対を押し切って保育園に入れたが、たとえ離婚しても仕事をしながらひとりで育てていくのはむずかしい。ただ、最近、娘は祖母と母との関係を微妙に感じ取っているようだ。
「最近、娘が週末、私から離れないんです。階下にも行きたがらない。だけど義母が呼び続ける。先日も『ママとふたりでどっかに行きたい』というので、近くの公園やショッピングモールで夕方までふたりで遊びました。帰宅したら義父母と夫が不機嫌そうにしていましたが、私はもう娘のことだけを考えて生きていこうと決めました。娘が10歳になったら、なんらかの結論は出したいです。娘とふたりで出ていって別居するか、あるいは離婚に踏み切るか」
安易に同居したことを後悔しているが、今さら過去を悔いてもしかたがない。ずっと悶々としながら暮らしてきたけど、娘のためにも強い母になりたいとユウコさんは真顔で言った。