昔から「別れ」が苦手だった
考えてみれば、小学校や中学校の卒業式でも、やたらと号泣している人はいたものだ。一方で笑顔でさらりと別れていく人もいた。「私は号泣タイプでした(笑)。友だちの顔を見ると、どんどん涙が出てきてしまう。中学のときなどは泣きすぎて立っていられなくなり、先生に『大丈夫?』と心配されたほど。高校でも大学でもそうでした」
そう言うのはジュンコさん(36歳)だ。社会人になってからも、それはあまり変わらない。就職して4年目、3年にわたって直属の上司として厳しく優しく指導してくれた人が異動になると聞いたその週末、ジュンコさんは2日間、寝込んでいたという。
「月曜日にはがんばって出社しましたが、げっそりやつれていたようで、当の上司に心配されてしまいました。人はどうして、別れをそんなに簡単に受け止められるのか、私にはそのほうが疑問でたまらなかった」
その後、異動してきた上司にはなかなか心を開けず苦労したらしい。誰かを失った心の穴を、別の誰かでは埋められないとジュンコさんは力説した。
「学生時代の友だちに言ったら、『上司が替わるのはしかたがないじゃない。栄転なんだったらお祝いしてあげなよ。連絡がとれなくなるわけじゃないし、仕事以外での接点を作ればいい』と言われました。確かにそうだし、頭ではわかっているんですが、正面から受け止めることができないんです。だから次の上司に慣れるまですごく時間がかかりました」
ジュンコさんは、情に厚い温かな人なのだろう。だが別れと出会いを繰り返すのが人生だとしたら、あまり深く受け止めすぎると自分がつらくなるだけだ。
「仕事でお世話になった他社の先輩が、会社を辞めて実家に帰ると聞いたときも心がざわざわしていても立ってもいられない気持ちになりました。これから仕事で恩返ししたかったのに、それができなくなるのがつらくて……」
優しい人だと周りのみんなが言うらしい。確かにそうなのだが、ジュンコさん、実は自分の気持ちだけに固執していないだろうかとふと思った。
人には人の人生がある
キツい言い方だが、ジュンコさんが訴えているのはすべて自分の気持ちである。相手はもしかしたら、これからの新しい人生に心が浮き立っているかもしれない。そんなときに「寂しい」と言われるだけならまだしも、あまりにもめそめそされたら幸先が悪い。栄転を部下に祝ってもらえないなら、上司としてやるせないのではないだろうか。そんな話をしていたら、実は「別れについてトラウマがあって」とジュンコさんが言った。
「幼稚園のころ、毎日一緒に遊んでいた近所の女の子がいたんです。幼稚園から帰ってきてもずっと一緒にいて、私はその子が大好きだった。だけどあるとき、急にその一家がいなくなったんです。母親に聞いても『詳しいことはわからない』と。あのときの喪失感がいまだに忘れられないんですよね」
大人になってから、その家は夫が浮気をして帰ってこなくなり、母が娘と心中未遂を起こしたとわかった。幸い助かった母子は、誰にも告げずに夜逃げのようにいなくなったのだという。
「どうしているのかなと今も思うことがありますが、ちょうど彼女がいなくなったのが桜の咲く頃。だから春というと別れと直結して、あのころの傷が疼く感じ。きっと彼女は元気でいるだろうし、私のことなど忘れているかもしれない。私も考え方を変えなくてはとわかってはいるんです。でもこの季節になると、現実として別れが多くなるので気持ちが沈み込んでしまう」
彼女の優しさは、そういう哀しさから来ているのだろう。ただ、やはり相手の気持ちに立つことも重要だと思う。その優しさをもって相手の立場も考えられれば鬼に金棒ではないだろうか。
「別れ」が不安なのはよくわかる。相手だけが飛び立っていく。自分は残る。人はみな違う環境に元気に飛翔していくのに、自分だけなにも変わらない。そんな思いもあるのかもしれない。ジュンコさんが言うように春は別れの季節だ。だがまた、出会いの季節でもある。