今後もふたりで仲良くやっていくはずだったのに
ひとり娘が大学生活を送るために家を出て、どこか寂しいリビングで夫が急に離婚したいと口火を切った。そう話してくれのはリカコさん(46歳)だ。27歳のとき4年間つきあっていた3歳年上の彼と結婚した。「うちはずっと共働きでした。本当はもうひとり産むはずだったんですが、流産してそれきりできなかった。でもそんなときも夫は寄り添ってくれたし、娘のこともものすごくかわいがっていて。ちっとも怒らないから、しつけに厳しい私ばかり悪者になっていたこともありました。それも今は笑い話。そんなふうに過ごしていたんです。それなのに夫がある日突然、離婚したいと言い出して」
どうして、という言葉が喉元まで出たが声にならなかった。私はしたくないとかろうじて言った。だが夫は、娘が家を出たのはいい機会。これからはお互いに自由に生きていこうよと切々と訴える。
「他に好きな人がいるならはっきり言ってほしい。そう言っても『そういうことじゃないんだ』と。じゃあ、どういうことよと言い返すと、とにかくもう結婚生活から自由になりたい。それしか言わない。そしておそらく、それが夫の本心なんだろうということもわかりました。夫は私の知る限り、ほとんどウソをついたことがないんです。『いちばん身近な人にウソをついたら、自分が苦しいだけ。騙すようなことはしたくない』というのが信条のはずだから。だから翌朝、『わかった。いいよ』と言ったんです。離婚したいと言う人に対して、その気持ちを翻してくれとは言えなかった。夫と私は別人格だし、今まで20年近くもそうやってお互いを尊重してきたのだから」
そこはリカコさんも見栄を張ってでもプライドを守りたかったという。それは、「夫とは対等な関係で生きてきた」というプライドだ。
ひとりになったら案外、快適だった
夫はすぐに引っ越していった。すでにマンションも決めていたようだ。「案外、用意周到だったんですよね。それに関しては計画的だったのかとちょっとむかつきましたが、彼は私が最終的には『わかった』というだろうと推測していたんでしょうね」
今思えば、夫に「してやられた」気はするという。それでも、泣いて夫にすがるようなまねだけはしたくなかったのだそう。
「今年の春からひとりで暮らしています。娘も夫も一気にいなくなったので、最初は慣れなくて、家の中がしーんとしていて怖いと思うこともありました。コロナ禍で人にも会えなかったから、ひとりでうじうじ考えたりもした。だけどあるとき学生時代からの友人で、夫のことも知っている女友だちに電話で話したら、よく話を聞いてくれたあげく、『こう言ったら怒るかもしれないけど、実は私、リカコがうらやましい。私も家庭や夫婦から卒業したいよ』って。今、この年代にひとりになっても何も怖くないじゃないと言われたんですよ。確かにまだ体力も気力もあるし、仕事もしている。それでも、心のどこかに『夫に捨てられた』という思いがあったんですが、彼女に言われて、そうか、卒業したと考えればいいのかと切り替えることができた」
もともと別人格の夫婦が、子育てを経て、また別の人生を歩むようになる。それは決して不幸なことでもつらいことでもないのではないか。むしろ、「他人である夫」のことを気にせず、自分の第二の人生を始めるいいチャンスなのではないか。
「そう思うようになってから、急にありあまる時間を自分に使おうと決めました。秋からは夜、語学の学校に通い、子どものころやっていたピアノのレッスンも再開したんです。ピアノはいつかまたやりたいと思っていたから」
10月に入って同僚や友人たちと会う機会も増えてきた。離婚したと言うと、みんな最初はぎょっとしたような顔をするが、話してみると「いいわねえ」「うちはまだ子どもが小さいから無理。もっと早く結婚すればよかった」「私も早くひとりになりたい」という声が続出しているという。
「今はすっかりひとり暮らしにも慣れて、むしろ楽しんでいます。最初は心配していた娘も、『最近、おかあさんはいつ電話しても出てくれない』と言うくらい。あのとき離婚を切り出してくれた夫に感謝したいくらいです(笑)」
仲のいい夫婦だと自分では思っていたし、実際、仲が悪くなって離婚したわけではないが、それでも夫には夫の長年の思いがあったのだろう。それを尊重してよかったと今は感じているという。
「習慣だからと結婚生活を惰性で続けず、いったんけじめをつけたことで第二の人生がより豊かになるような気がしています。元夫とはときどきメッセージのやりとりをしたり電話で話したりしていますが、彼は早期退職をして故郷の北海道に帰りたいみたいです。それも彼の人生だから、私はとやかく言わずに、ただの友だちに戻って聞いているだけ」
結婚したら墓場まで一緒だと思っていたが、それは自分の思い込みだったとリカコさんは言う。人生何が起こるかわからない。だが、それさえも楽しいと思えばいいのかもしれないと彼女は明るい笑顔を見せた。